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【書評・紹介】 【松下康子氏(リブロ池袋店人文書担当)】 |
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《目次》
日本の読者へ まえがきと謝辞 転写と発音 年 表 『黒いアテナ』のすすめ 小田実 序章 〈アーリア・モデル〉ではなく〈改訂版古代モデル〉を選ぶ本質的な理由 若干の理論的考察 各章の議論の要約 第1章 宮殿時代以前のクレタ島 紀元前7000年―2100年 「伝播論」と「孤立論」の論争 紀元前21世紀のクレタ島 初期青銅器時代のクレタ島の宗教 結論 第2章 ボイオティア地方とペロポンネソス半島 におけるエジプトの影響 紀元前第三千年紀I セメレとアルクメネ 女神アテナとボイオティア地方のアテナイ ネイト、水をつかさどる神 ネイトとセトとの戦い、アテナとポセイドンとの戦い ポセイドン/セト ネイト/アテナとネフティス/エリニュス ヘラクレス 結論 第3章 ボイオティア地方とペロポンネソス半島 におけるエジプトの影響 紀元前第三千年紀II スパルタの考古学 アムピオンとゼストの墳墓 コパイス湖の排水 穀物倉庫 アルゴリス地方の灌漑と植民 アルカディア地方の排水と灌漑 ボイオティア地方とアルカディア地方の地名にみる並行関係 初期ヘラドス文化期ギリシアの社会と政治の構造 エーゲ海地域に見られるその他のエジプト古王国の考古学的痕跡 初期青銅器時代「高度」文明の終わり 結論 第4章 クレタ島の旧宮殿時代 とエジプト中央国 紀元前2100年―1730年 初期ミノア文化第III期 鉛同位体分析と螺旋文様 クレタ島の宮殿 クレタ島の文字 初期宮殿時代の祭儀シンボル 牡牛崇拝のアナトリア紀源説 雷と性 ミンとミノス クレタ島にエジプトの影響はなかったという説 モンチュとラマダンテュス クレタ島で生き残った牡牛祭儀 結論 第5章 セソストリス I ギリシアの記述にみる彼の征服 ミト・ラヒーナ碑文の発見 碑文の重要性 センウスレトとセソストリス セソストリス伝説の真実と虚構 エジプト中央国の軍事能力 背景 考古学にみる軍事行動の証拠 セソストリスは破壊者だったのか トラキアとスキタイにセソストリスは行ったか コルキスにセソストリスは行ったか ミト・ラヒーナ碑文にみるセソストリスの「征服」の証拠 結論 第6章 セソストリス II 祭儀・神話・伝説にみる証拠 エジプトの伝承 レヴァントとアナトリアの伝承 トラキアとスキタイ コルキス メソポタミアとイラン メムノンと彼のアナトリア征服についてのギリシアの伝説 エジプトのトロイア征服説 セソストリス/センウスレトとアメンエムハトによる征服 |
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【書評・紹介】 【松下康子氏(リブロ池袋店人文書担当)】 |
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【藤原書店PR誌『機』2004年6月号より】
西欧による古代ギリシア史の偽造を暴く問題作、遂に刊行!
『黒いアテナ』のすすめ 小田 実
『黒いアテナ』の鮮烈な主張 昔はよく現代のギリシア人が「黒い」のは、金髪、白い肌、長身、長脚のギリシア彫像の栄光の時代のあと、ギリシアの周囲の蛮族(英語のバーバリアンということばはギリシア語の「バルバロス」から来ている。すなわち、文明人のギリシア人の耳にはバルバルとしか聞こえないわけの判らないことばをしゃべる連中はそれだけで野蛮人だ。そういうことになった)と混交、混合し、さらには蛮族中の蛮族のトルコ人の支配を長期間にわたって受けたからだと言われたものだ。最近はそうでもなくなって、あれは昔からそうだったのだと言われるようになって来ていたが、それをまちがいなくそうだと強力に主張した一書が近年になって現れた。それが、この1987年に第1巻が世に出たマーティン・バナールの『黒いアテナ』だ。彼はそう証拠を集めて主張しただけではなかった。元来が本質的に「黒いアテナ」だったのを「白いアテナ」に変えたのは1785年に始まるドイツを中心とした「ヨーロッパ、西洋」の歴史の「偽造」だと、これもまた強力、鮮烈に主張した。 ギリシア語の語彙に見られる西セム系、エジプトのルーツ この本のことをここで長々と説明するつもりはない。すべては『黒いアテナ』自体を読めば判ることだ。ただ、ここで私なりにまとめ上げた紹介を少し書いておけば、バナールは今はアメリカ合州国のコーネル大学の教授だが(それともすでに引退しているかも知れない、それほどの年齢だ)、もともとはイギリスのケンブリッジ大学で中国学を勉強し、教えもしていたイギリス人の70歳に近い年の学者だ。若いときには、ベトナム反戦運動に参加し(そのころ、ひょっとしたら、私は彼に会っていたかも知れない)、同時に当時イギリスでは事実上何の研究もされていなかったベトナムを研究、日本史も勉強した。両者ともに、混合しながら、同時に独自に文明をつくり出していて、それはのちのギリシア研究のいい「モデル」になった(そう彼は『黒いアテナ』第1巻の「はしがき」で書いている)。 そのあと、同じ「はしがき」のなかでの彼自身のことばを引用して言えば、「世界の危険と興味の中心となる焦点はもはやアジアではなくて東地中海になった」と彼には見えて来て、そちらに研究対象を移し、ヘブライ語(彼には少しユダヤ人の血が入っている、そう彼は言う)、エジプト語を学び、さらにギリシア研究に至って、彼は重大な「発見」を二つする。ひとつは、ギリシア語の語彙の半分はインド・ヨーロッパ語系のものだが、あと25パーセントは西セム語系(ヘブライ語――古来のユダヤ人言語もそこに入る)、20―25パーセントはエジプト語だという「発見」だ。しかし、なぜかくも混交が起こったのか。それはかつて古代ギリシアがエジプトと西セム語系言語をもつ古来のユダヤ人の国フェニキアの植民地だったからだ――これがバナールの第二の「発見」だが、そうだとすれば、当然、古代ギリシアには、フェニキアのユダヤ人要素とともに、「黒い」アフリカの一部のエジプトもギリシアの構成要素のなかに入って、古代ギリシアは「白いアテナ」ではなくなり、「黒いアテナ」、そうとしか考えられないものになる。そうバナールは強力に主張する。 西欧による歴史の「偽造」 これだけでも大問題になって論争がまきおこってふしぎはないが、もうひとつ、彼は重大な主張を証拠を集めてやってのけた。それは、さっき述べた歴史の「偽造」である。それは大航海時代以来、侵略と植民地支配で世界の中心にのし上がって来た「ヨーロッパ、西洋」が、ことにそのなかで新興勢力のドイツが牽引力になって、近代になって自分たちの文明を古代ギリシアに始まるものとして、ここ200年のあいだに元来が「黒いアテナ」だったはずの古代ギリシアを、「白い」自分たちの先祖であるのにふさわしく「白い」アテナに「偽造」してのけたというのだ。この本の副題は「古典文明のアフロ・アジア的ルーツ」だが、その第1巻(これが1987年にまず出版された)にさらにもうひとつつけられた副題は「古代ギリシアの偽造 1785年―1985年」とまさに激しい。また、きびしい。 『黒いアテナ』をめぐる論争 これでこの本が「ヨーロッパ、西洋」で問題にならなかったらふしぎである。案の定、大論争がまき起こり、それはまだつづいている。「聖書以来、東地中海についてのもっとも論議された本」と評した学者もいるし、「好むと好まざるとにかかわらず、バナールの事業は、ギリシア文明の起源と古代エジプトの役割についての次の世紀における認識を深いところで示している」と言った学者もいる。そして、この二つの発言を紹介しているのは『大学における異端』と題した、これまでの『黒いアテナ』にかかわっての論争を「肯定」「否定」あわせてまとめて紹介した本だが、こうした本が出版されていることだけでも、論争の規模の大きさと激しさが判るだろう。「賛否」両論半ばと言いたいが、マーティン・バナール自身が書いているように、「否」が「賛」より多いようだ。そして、「否」が古代ギリシア研究の専門家に多くて、「賛」は私自身をふくめて、この本をこれから読もうとしている読者のような専門家でない知識人――「知的大衆」に多いと、これもバナール自身が書いていた。 バナールによるパラダイム転換 こうした事態にあって、よく使われるのは、研究、本の質の理由だ。質が劣っているので、この研究、本はわが図書館には置かない――これがよく使われる理由だが、この質の問題でいつでも出て来るのは、専門家が見てどうかという問題だ。 私にはバナールの学識、あるいは、逆にバナールを「アマチュア」とこきおろすレフコビッツの「専門家」としての学識を判定する能力はないが、私にはバナールの学識、そして、研究それ自体は決して「アマチュア」程度のものとは思えない。しかし、たとえ、彼が「アマチュア」だとしても、バナール自身が主張するように、トロイの遺跡をみごとに発掘してみせたハインリッヒ・シュリーマンは言うに及ばず、クレタ線文字Bをギリシア語としてこれまたみごとに解読してみせたマイケル・ベントリスも偉大な「アマチュア」だった。シュリーマンの本業が企業家なら、ベントリスは建築家だ。 バナールは『黒いアテナ』第1巻の「序文」の冒頭に、科学における「パラダイム」転換の必要を説いたトーマス・クーンのことば、「新しいパラダイムの根本的な発案をなしとげる者は、たいてい常に、彼らがパラダイムを変えるその領域において非常に若いか、非常に新しいか、そのどちらかである」を引用したあと、中国研究を長年して来た自分が今『黒いアテナ』でしていることは、厳密な意味でのパラダイム転換ではないとしても、それと同じように根本的なことだと述べていた。私も彼のことばに同意する。 ※全文は『黒いアテナ 上』に掲載(構成・編集部)
(おだ・まこと/作家) |