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“鎮魂の文学”の誕生

不知火(しらぬひ)

石牟礼道子のコスモロジー


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 石牟礼道子/渡辺京二/見田宗介/大岡 信/菅野昭正/志村ふくみ/辺見 庸/高田 宏/岩岡中正/栗原 彬/多田富雄/司 修/イバン・イリイチ

菊大並製 264頁 2310円
2004年2月刊)
◇4-89434-358-4


【書評・紹介】

  • 4/7 読売新聞 夕刊 「本 よみうり堂」

  • 《目次》

    第1部 石牟礼道子が語る
     〈インタビュー〉鎮魂の文学
     今際の眼
     しゅうりりえんえん
     新作能 不知火
     エッセイ(15篇)


    第2部 石牟礼道子を語る
     石牟礼道子の世界  渡辺京二
     〈医術〉としての作品  見田宗介
     生命界のみなもとへ  大岡 信
     石牟礼道子の時空  渡辺京二
     風土に包まれた生のかたち  菅野昭正
     「夢がほんとでなからんば」  志村ふくみ
     哀しみのコスモロジー  辺見 庸
     森愛なる人  高田 宏
     石牟礼文学をどう読むか  渡辺京二+岩岡中正
     草の声そして人間への問い  栗原 彬
     救済への祈り  志村ふくみ
     エコロジー・アニミズム・言霊の交響  多田富雄
     レクイエムも残酷なほどに歌われる  司 修


    第3部 石牟礼道子と語る
     〈対談〉「希望」を語る  イバン・イリイチ+石牟礼道子


    【藤原書店PR誌『機』2004年2月号より】

    『石牟礼道子全集 不知火』発刊迫る!

    『石牟礼道子全集 不知火』を推す


    苦界の奥にさす光
    五木寛之(作家)
     「生病老死」は「苦界」の中身ではなくて、本当は苦界の蓋にすぎないのだなあ、と、石牟礼道子さんの文章を読むたびに私は思う。その蓋をこじあけ、さらに奥の蓋をあけたところに石牟礼さんの浄土はある。いま「ひとの情け」という言葉を穢土を照らす光のように発することができるのは、石牟礼道子さんだけだろう。この国の爆心地が広島、長崎だけでないことを私は石牟礼さんの文章に教えられた。慈よりも悲の力が大きいことも石牟礼さんの仕事は語っている。母の言葉のように。


    現代の失楽園の作者
    白川 静(中国古代文学者)
     石牟礼氏の文章は、まことに詩のように美しい。氏は本質的に詩人であると思う。その詩魂は、不知火の燃えるという海の潮騒に養われ、郷土の淳樸な土俗に育てられたものであろう。しかしやがてその海が、海底から毒液の汚染にまみれ、生類が悉く死滅し、多くの犠牲者が出ると、氏はその救済の陣頭に立った。その想いは長編『アニマの鳥』に、最も象徴的な形で語られている。美しい郷土の伝統と、生類のすべてを犠牲として恥じぬ現代産業社会との相克を描いた「不知火」の一曲は、氏の文学の一収束をなす名作であると思う。


    独創的な巫女文学
    鶴見和子(社会学者)
     石牟礼道子の作品は、日本近代に生れた最初の、そして独創的な巫女文学である。
    急激な工業化に伴う不知火海の汚染による水俣病で悶死した人間をふくむあらゆる生きものと、生きながらことばを失った人々との深い魂の叫びを、天草ことばに根ざして、かの女が創出したリズミカルな石牟礼道子語によって、生き生きと語り伝える。天草の乱によって、凄絶な戦死を遂げた農民漁民の熱い念願も伝わってくる。
    現在地球規模で、戦争と工業化による自然破壊を押し進めているわれら人類に対して、未来へ向けた心打つメッセージがここにある。


    不知火の鎮魂の詩劇
    多田富雄(免疫学者)
     石牟礼さんの作品には、不知火の海の持つ記憶が色濃く流れている。それは土俗の神から、乱世のヒーロー、現代の死霊へと何度でも生れ変り、魂の救済を訴える。新作能「不知火」は、それが結晶となって噴出した。舞台作品として成功したのも、今は死んでしまった不知火の海の記憶たちが呼びあって、鎮魂の詩劇の中に再生しているからである。石牟礼文学は、地方の文学というまさにそれゆえに、普遍性を持った世界の文学となった。


    日本の良心の文学を
    瀬戸内寂聴(作家)
     石牟礼道子さんは、生粋の詩人である。この詩人はまた、日本の良心である。
     病弱な女詩人は、見かけによらない強靱なレジスタンスの背骨で支えられていて、社会の不正に向って厳しい抗議行動に出る。
     刻々に汚染され、破壊されていくこの国の自然の惨状と、それを行う破廉恥な人間の浅間しさが、生粋の詩人の心には耐えられない。嘆きと怒りと祈りの熱くこめられたのが、石牟礼文学である。待望の全集を若い人々にこそ読んでほしい。


    世界を多重構造として見る目
    大岡 信(詩人)
     石牟礼道子の文章は、現代日本で他に類例を見出し難い独特な性格をもっている。物象や人物の把握力はじつに正確で、こちらの頭にありありとその影像が残る。しかもこの文章は、物象の世界から遥か遠いところまで人を連れ出してしまう。それはこの作家の物を見るまなざしが、自らを遍歴・輪廻の世界に住む一個の漂泊者と見定めて揺るがない強さを持っているからだろう。対象を多重構造のものとして見る目を、注意深い生活者として多年つちかってきたことが、一言半句にもにじみ出ている文学者である。


    「自然」の言葉を語る人
    河合隼雄(臨床心理学者)
     石牟礼さんの言葉は、山や川や空や海や、動物、植物、鉱物などの言葉をそのまま伝えてくれているように感じる。もちろん、それらと共に生き、なぜか多くの傷を受けた人たちの声も。それらを読みながら、読む者の心のなかの傷が、「自然のうちに」とけこみ、とけ去ってゆくのを感じるのである。
     自然というものの奥深さを、これほど感じさせる文を書く人は、石牟礼さんの他にあまり居ないことだろう。


    あたたかいやわらかさ
    志村ふくみ(染織家)
     石牟礼さんの声は、低く、重く、やわらかい。そのやわらかさは、海も空も、地上のすべての生類をもつゝみこむ、あたたかいやわらかさである。先年、たまたま水俣をおとずれた時、右手に不知火の海をみながら車をはしらせ、こんどとりかかった、「不知火」という能の構想をぼそぼそと語って下さった。それはあの海の果ての天草の島々のように、小高く、低く山なみをかさねて浮び上り、石牟礼さんと不知火が海から空へと立ち昇ってゆく神々への供儀のように思われた。海上はるかに石牟礼さんの言葉の世界、全文学の魂を打ち込んだ世界が浮び上ったようだった。石牟礼さんの文学の仕事は、一文字一文字を体からひきはがすようにして打ち建てた宮居のようである。
     こゝに生れ、水俣と共に汚濁を飲み、不知火の浄化が次の世へ、まだ誰も受け継ぐことのできないでいる新しい宗教、思想の種子となって下さることを祈っている。


    「一堂に会す」歓び
    筑紫哲也(ジャーナリスト)
     「ミナマタ」が広く知られたのは起きたことの悲劇性とともに、それを伝える秀れた「表現者」を得たことが大きい。その最たるひとりが石牟礼道子さんだろう。
     ところが、ある雑誌の同人としてしばらくごいっしょしたご当人は、華奢で決して頑健とは言えず、飾り気のないお人柄で、そのどこからあんなエネルギーが湧いてくるのか不思議に思えるほどだった。強靱な精神が紡ぎ出した石牟礼さんの作品が全集として「一堂に会する」ことになってうれしい。


    芸術家の本質としての巫女性
    金 石範(詩人)
     芸術の本質は現世的なものと非現世的なものが感性の介入で、一つの存在として成立しているところにある。芸術家は現実的なものと超越的なもの(見えないもの)の媒体故の創造者である。古代の幽界と現世の媒介役をする巫女のように。しかし現代の芸術家は地上の“文明”の被膜の下で、ほとんどその役割を失っている。
     石牟礼道子は、文明の一つの表象であって人間の本来的な生命の伸張の阻害者となる水俣病の人間破壊の衝撃に直面することで、芸術家の本質的な巫女的存在性を一層見事に発現し得た稀有の作家である。