サイトをリニューアルしました!5秒後に移動します。
http://www.fujiwara-shoten.co.jp/main/
沖縄から日本をひらくために

真振 MABUI


海勢頭豊

Now Printing

 沖縄の解放が、日本の解放である――沖縄に踏みとどまり、魂(MABUI)として生きる姿が、本島をはじめ、本土の多くの人々にも深い感銘を与えてきた伝説のミュージシャンの初の半生の物語。喪われた日本人の心の源流である沖縄の最も深い精神世界を初めて語り下ろす。
 代表曲「月桃」「喜瀬武原」を収録したCD付。

B5変並製 176頁 2940円
2003年6月刊)
◇4-89434-344-4


【書評・紹介】

  • 子どもと教育 03年12月号
  • 2003/07/28 「日刊ゲンダイ」 “Book”欄
  • 2003/07/05 「沖縄タイムス」 “Books”欄


  • 月 桃
    作詞・作曲 海勢頭豊

      月桃ゆれて 花咲けば
      夏のたよりは南風
      緑はもえる うりずんの ふるさとの夏

      月桃白い 花のかんざし
      村のはずれの石垣に
      手にとる人も今はいない ふるさとの夏

      摩文仁の丘の 祈りの歌に
      夏の真昼は青い空
      誓いの言葉 今もあらたな ふるさとの夏

      海はまぶしい 喜屋武の岬に
      寄せくる波は 変わらねど
      変わる果てない 浮世の情 ふるさとの夏

      6月23日 待たず
      月桃の花 散りました
      長い長い煙たなびく ふるさとの夏

      香れよ香れ 月桃の花
      永遠に咲く身の花ごころ
      変わらぬ命 変わらぬ心 ふるさとの夏


    喜瀬武原(キセンバル)
    作詞・作曲 海勢頭豊

    1.喜瀬武原 陽は落ちて 月が昇る頃
      君はどこにいるのか 姿もみせず
      風が泣いている 山が泣いている
      みんなが泣いている 母が泣いている

    2.喜瀬武原 水清き 花のふるさとに
      嵐がやってくる 夜明けにやってくる
      風が呼んでいる 山が呼んでいる
      みんなが呼んでいる 母が呼んでいる
      闘い疲れて ふるさとの山に
      君はどこにいるのか 姿もみせず

    3.喜瀬武原 空高く のろしよ燃え上がれ
      平和の祈りこめて のろしよ燃え上がれ
      歌が聞こえるよ はるかな喜瀬武原
      みんなの歌声は はるかな喜瀬武原
      闘い疲れて家路をたどりゃ
      友の歌声が心に残る

    《関連書》
    沖縄島嶼経済史 一二世紀から現在まで
    別冊「環」6 琉球文化圏とは何か


    【藤原書店PR誌『機』2003年6月号より】

    伝説のミュージシャンが沖縄の美しい精神世界を初めて語る

    清(ちゅ)ら海の真振(まぶい)

    海勢頭豊

    沖縄の言葉の謎

     沖縄は謎に満ち溢れた所。そもそも何故、台湾に近い与那国島までの琉球が 、日本語圏なのか。長い中国との関わりがありながら、何故に古代の日本語を 伝え残しているのか。何故、友という言葉を使わずに同士(どうし)を使うのか。何故、魂の ことをマブイと言うのか。言葉の謎は数えあげたら切りがない。
     逆に沖縄からヤマトに目を向けると、何故、大きな和と書いて大和(やまと)と無理な読ま せ方をしているのか。何故、沖縄では平気に部落という言葉を使うが、ヤマト の国では差別用語にしているのか。何故、二十一世紀の今日まで、日本政府は 沖縄を差別し続け、日本の歴史の真実を隠し続けて美化しようと努力している のか。考えたら切りがない。

    清ら島に生まれ、人類の罪とは何かを考える

     私は、沖縄本島中部、太平洋側に点在する島々のひとつ、平安座島(へんざじま)に生れ育ち、戦 後、現代文明に破壊され、汚染され続ける、琉球の自然と清らな精神に心を痛 めてきた。そして、世紀末から二十一世紀初頭にかけて訪れるであろう破局に 対処するために、人類の未来に対する罪とは何かを考えるようになった。そし てその罪を総括する武器としてギターを独習し、作詞作曲をして自ら歌いなが ら沖縄問題を訴え続けてきた。自らの日常を美化する弱い心を打ちながら、音 楽の罪のみならず、社会的常識を価値として疑わない全ての事象の罪を見つめ て「破局総括試論」を書いたのは、今から三〇年前のこと。しかし、この程度 のことは誰にも考えられることだからと思い、それは闇に葬った。だが、人類 社会は益々文明の罪を総括できずに混迷し、混乱してしまっている。

    守り続けられてきた美しい祭祀

     しかしながら沖縄では、世界の崩壊現象を他所に、女性中心の祭祀が、今も 静かに行われている。その神女たちが祭祀を仕切る時の祈りの言葉や、威厳あ る振る舞いを見る時の感動は、こどもの頃から、今も変らない。特に、海の彼 方にあるとされるニライカナイの理想郷に向って、世を願う真剣な姿は幻想的 で美しい。
     しかしこれは幻想ではなく、具体的事実として、沖縄が守り通してきた神と の約束である、と認めざるをえない。
     何故、神女たちの祭祀が古代ヤマトの古墳時代の衣装に似て、頭には木や草 の葉の冠を被り、首には勾玉をかけているのか。
     その古風な祭祀が、神国日本の皇民化教育を受けようが、琉球処分を受け続 けようが、伝統は古代から延々と絶えることなく、守り続けられてきた。
     結局、沖縄戦に到ったヤマトの皇軍による琉球支配は失敗し、日本復帰後の 沖縄でも、その祭祀の伝統を見る限りに於いて、今も成功しているとは言えな い。
     沖縄戦終結後の島々の神女たちは、素早く立ち上り、沖縄本来の祭祀を取り 仕切る時の真振りを魂に込め、ヤマト魂に汚染された心を清めていったのであ る。
     絶対平和を尊い思想として祈り続ける大きな和の島を差別し、沖の縄で縛り 続けるヤマトは、大和を名乗る資格はまだない。ニライカナイに大和の心を持 ち帰り、平和の国造りを約束した古代のたちの活躍の跡が、私の故郷である島 々に、数多く残っている。その何もない岩場を聖地として、神女たちは約束を 待ち望んでいるのである。
     このようなことを考えている私が、藤原さんのインタビューを受けた。まと もな話になったかどうかは疑問だが、とりあえず仕方なく本が出ることになっ た。

    (うみせど・ゆたか/音楽家)