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辛口の文芸批評家が、鋭利な切り口で描く読書エッセイ

午睡のあとで

松本道介
Now Printing

永井荷風、夏目漱石、金子光晴、幸田文、阿部昭、渡辺京二、司馬遼太郎、トーマス・マン、ウォーレス …… 幅広い読書体験から豊饒な書物の世界を軽やかに描き出す。『熊本日日新聞』で大反響。

四六変型上製 216頁 1890円
2002年9月刊)
◇4-89434-301-0




【書評・紹介】

  • 「国文学 解釈と観賞」11月号 “新刊紹介”欄 「文藝春秋」3月号 “新刊ダイジェスト”欄
  • 2002/10/6 「熊本日々新聞」 “書評”欄

  • 【藤原書店PR誌『機』2002年9月号より】

    辛口文芸評論家による鋭利な読書エッセイ『午睡のあとで』今月刊行!

    ウォーレスの大発見
    松本道介

    気ままなエッセイ


     本書『午睡のあとで』に収めた随筆百一篇は「熊本日日新聞」の「本のペー ジ」(火曜日夕刊)に平成十二年四月から今年の三月まで二年にわたって連載 した。
     なにを書いてもいいとのことだったので、さまざまな思い出や今の世の中に ついて感ずるところなど気ままに書いた。と言っても「本のページ」の随筆欄 なので、昔、あるいは最近読んで面白かった本や小説について書いた文章がお のずと多くなり、全体の半分くらいになった。しかし書評といったスタンスで 書いたものはほとんどない。

    ウォーレスの『マレー諸島』

     とりあげた五十冊くらいの本のうち、イギリスの博物学者A・ウォーレスの 『マレー諸島』だけは四回も書いてしまった。愛読書のなかの愛読書というこ とになるが、ドイツ文学を専攻していて格別博物学に関心があるわけでもない 私がなぜこのような本を愛読するようになったのかわれながら不思議である。  ウォーレスはダーウィンより早く進化論を唱えながらダーウィンの蔭にかく れてしまった不運の人、悲劇の人と見られている。しかし私は進化論にそれほ ど関心がないせいかあまりウォーレスがかわいそうだとは思わない。ウォーレ スも進化論にそれほど熱心ではないし、先陣争いの意識などまったくないよう だ。
     ウォーレスは進化論に専念するにはあまりに関心の豊かな人だった。スマト ラ、ボルネオをはじめ大小さまざまの島の動植物、昆虫、地誌、民俗、あらゆ る分野での探究から大陸移動説、また生命の美に対する感嘆まで、その関心、 観察、思索は実に多岐にわたる。
     ウォーレスは昆虫や植物を採集し標本をイギリスに送ることを職業にしてい て、新種の発見は数限りなくおこなっているが、なかでも“大発見”だと思う のは、ニューギニア南方に浮かぶアルー本島の森の奥での“発見”である。

    相対性原理に匹敵する?

     ウォーレスは科学者でありながら美の感受性も豊かな人であり、無人の森で 極樂鳥という世にも美しい鳥を目にした時の感激は大きかった。遠いアジアま ではるばるやってきた甲斐があったと喜ぶのだが、そうするうちに、これほど 美しい鳥が毎年毎年、いや何万年ものあいだ、誰にも見られることなく生命を まっとうしては死んでいったことを思って憂鬱になったという。
     しかし、だからと言って多くの文明人が極樂鳥を見ようとこの森へやってく ればいいのか。そんなことをすればたちまちのうちに生態系は破壊され、極樂 鳥は絶滅の道をたどるだろう。それに極樂鳥自身は人間に見てもらうことなど 少しも望んではいない。そう考えたとき、ウォーレスは悟ったのだ。すべての 生きとし生けるものは人間のために作られているのではないことを。
     あまりにあたりまえのことながら、これは大発見だと思う。ちょっと大袈裟 かもしれないがアインシュタインの相対性原理にも比すべき大発見だと私は思 っている。
     アインシュタインの大発見はいち早く認知され、今では世界の常識にさえな っているが、ウォーレスの発見はすでに百五十年近くを経て、いささかも認知 されていない。われわれ人類はすべての生きもの、すべての地球資源が人間の ためにつくられていることを今もなお固く信じて疑わず、日夜地球環境の破壊 にいそしんでいるのである。
     ウォーレスはイギリス人といっても辺境のウェールズの人である。ダーウィ ンのような上流階級の出身ではなく学問もほとんど独学だった。そして当時の 人としてはめずらしくキリスト教徒ではなかった。十九世紀のイギリスにあっ てキリスト教徒でないことがどのような意味を持つのか私にはよくわからない が、ウォーレスのものの見かた、考えかたの柔軟さやアジア人の生きかたへの 順応の速さなどすべてキリスト教徒でないこととかかわりがあると思われてな らない。

    (まつもと・みちすけ/文芸評論家)


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