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“食”が歴史を作ってきた!

食の歴史
(全3巻)

J-L・フランドラン/M・モンタナーリ編
宮原信・北代美和子監訳

Now Printing


 快楽の歴史で知られる仏の歴史家フランドランと中世の食を研究する伊の歴史家モンタナーリ。 二人の編者が描いた遠大な構想のもと実現した記念碑的著作!  西欧を代表する総勢43名の執筆陣が、先史から現代まで西洋の食の全歴史を一望する。

A5上製 各432頁 各6300円
2006年1・2 ・3月刊)
T・4-89434-489-0
U・4-89434-490-4
V・4-89434-498-X
Histoire de l'alimentation

【書評・紹介】

  • 4/11 エコノミスト

  • 【藤原書店PR誌『機』2005年1月号より】

    “食”が歴史を作った!

    フランソワーズ・サバン

     2001年8月、70歳で世を去ったとき、ジャン=ルイ・フランドランは歴史学者として、人間にとって基本的なふたつの欲求――性と食――の研究から想を得た、きわめて独創的な著作を後世に残していった。学究生活の前半を家族と愛、性、生殖の歴史の研究に費やしたあと、1978年以降は、ガストロノミー(美食術・料理法)と料理の歴史に目を向けることによって、歴史学者としての経歴に新たな扉を開いたのである。

    数値的資料による研究の停滞
     当時、このテーマは学界から認められるという栄光にはいまだ浴していなかったものの、まったく手がつけられていないというわけでもなかった。食の問題、とくに供給、食料危機、飢饉は、かなりの数のフランス人研究者の注意を引いていた。1960年代と70年代には、アンシャン・レジーム下での民衆の食生活について、その栄養状態の量的質的な測定を目的として、大規模な調査がおこなわれた。
     しかし、他の問題提起がなかったこと、そしておそらくは新たに開拓すべき史料がなかったことから、研究は停滞した。「ひとりあたりの摂取熱量」の再現を可能にする数値的資料に頼ったために、拠り所とする基本的史料が病院や学校、修道院のような団体や共同体の食品調達に関する会計簿に限られたからである。

    食に関する嗜好の変化を追う
     一方、ジャン=ルイ・フランドランは、農民やブルジョワ、貴族がほんとうになにを食べていたのか、どんな時間に食卓についたのか、どのくらいの量をどのようにして食べたのか、食という基本的な行為からどんな歓びを得たのかを知ろうとした。できるだけ厳密に集めた諸習慣の資料から、フランドランは社会階層の屈折を通して、食に関する嗜好の変化を長期にわたって追い、それによってガストロノミー――料理の芸術的表現と多様なスタイルのもとでの評価という意味での――の真の歴史に場所をあたえようとした。
     フランドランによれば、嗜好の歴史は、視覚と聴覚という二つの感覚だけを発揮してもたらされる果実、美術と音楽に限定はできない。そのために、フランドランはこれまで歴史家がまったく手をつけていなかった種類の文献、つまり料理書の分析にもとりかかった。まずパリ第八大学で、次いで社会科学高等研究院で、フランドランの周囲に古い料理書の研究グループが作られたが、そのもくろみはこういった技術的な著述の理論的解釈にとどまらず、伝えられてきたレシピの実践による過去の風味の再現をも目指していた。いうなれば、通常、歴史文化人類学と呼ばれているものを、そのもっとも具体的な広がりのなかで実行するのである。
     ジャン=ルイ・フランドランのゼミはほんものの実験室に変わり、そこでは歴史的分析による食体系の解読と同時に、忘れられた一連の調理技術をレンジに向かって明らかにし、知られざる味覚と芳香とを復元する努力が成された。ゼミの歴史宴会は、その料理の質の高さからも、またそれに伴う学識ある解説の妥当性からも有名になった。

    初めて書かれた総合的な人類の食の歴史
     ジャン=ルイ・フランドランが農業史を専門とする若きイタリア人歴史学者マッシモ・モンタナーリと出会ったとき、この研究は新たな広がりをとることになった。モンタナーリは現在、イタリア・ボローニャ大学の中世史の教授であり、フランドラン同様にガストロノミーの歴史に熱中している。
     1980年代末、ふたりの共同研究の成果である本書『食の歴史』の計画が生まれたとき、ジャン=ルイ・フランドランが最初に考えていたような食の感性の歴史だけでは不充分であり、多様な論点をとらえた食の歴史そのものに取り組むべきであることが明らかになった。
     それまでは、人類の食の歴史が、考古学の最新の成果、そして妥当性があると認められた史料に基づいて総合的に、そしてまじめに書かれたことはなかった。もっとも人間の食習慣の進化が興味と好奇心の対象にならなかったわけではない。しかし、それは地方の碩学や日曜歴史学者の専有物にとどまり、語られるのは、幸いなる神の摂理がすべての発明の母となり、そのヒーローたちが必ずや偉人である美しい物語だった。
     ジャン=ルイ・フランドランとマッシモ・モンタナーリは、人間が自らの食の運命をゆっくりと征服していった過程は、歴史的に記述されるに値するのであり、愉快なアネクドートは、各人が一日に何度も食事をせざるをえないような欲求の重要性を無視していると考えた。こうして本書『食の歴史』が誕生した。
     その第一の目的は、基本的重要性をもつ主題に、社会科学、人文科学の領域における完全な場所をあたえることだ。現在、「グローバル化された」世界全体を定期的に動揺させている食料危機は、このパイオニア的なもくろみの正しさを示している。習慣と形態と嗜好とを歴史の深みに振り返って見ることなくして、現代の食料消費の全体像を理解はできない。

    人類の黎明から現在まで全地球的な規模で把握
     本書は、ほとんどがヨーロッパ人である約四十名の研究者を集めて書かれた。そのそれぞれが、専門の領域と時代区分における著名な学者である。ジャン=ルイ・フランドランとマッシモ・モンタナーリの総論が各論文に枠組みをはめ、人類の黎明から現在にいたるまでのひじょうに長い期間にわたる習慣の進化の構造と動きとの把握を可能にする。
     あつかわれているのは、食品とその伝播であれ、食の体系とその文法であれ、栄養学と食、調理技術、風味、味覚、集団の給食、消費形態のごく最近の変化、食料品の経済であれ、食の歴史に関するすべての問題である。対象となる地域は基本的に、もっとも広い意味でのヨーロッパであり、メソポタミア、ビザンティン、エジプト、ヘブライ人の古い文明に場所を譲ることで、地中海最東の地域までを含める。ヨーロッパ外の世界も忘れられてはいないが、ヨーロッパとの関係において――とくに旧世界の食の体系と習慣を根本的に動揺させた新しい食品と嗜好の供給者として――とりあげられている。ふたりの編集者が序論で指摘しているように、ヨーロッパ人であろうとアメリカ人であろうと、あるいはアフリカ人であろうとアジア人であろうと、われわれの食の歴史は、いまや全地球的な規模で把握されねばならないからである。(北代美和子訳)
    (フランソワーズ・サバン/日仏会館副理事長)


    【藤原書店PR誌『機』2005年3月号より】

    歴史は胃袋を追いかける

    北代美和子

    選択の歴史としての食
     「食の歴史」を語るのは難しい。両親や祖父母が白米を食べるのを見て育ってきた私たちは、その親もそのまた親も白いお米を食べていたと思いがちだ。しかし、米食が日本全国に普及したのは昭和十七年に食糧配給制度が実施されたあとのことにすぎない。このとき日本人は、麦や粟、稗、黍などさまざまな穀物のなかから米を選んで、国民国家「日本」の食の基礎としたのである。
     人は身のまわりにある食用可能なものをなにもかも食べてきたわけではない。かつてインドでは、生存ラインすれすれの生活をする人びとでさえ、目の前を闊歩する牛に飛びついたりはしなかった。日本人は仏の教えにしたがって肉食を忌避したというのが通説だが、同じ生き物の魚を食べることは許されていた。日本人は蛋白源として獣ではなく魚を選んだのであり、そこには仏教の影響だけでは説明できない理由が隠されているはずだ。  種々の食用可能な品、多様な調理法のなかから、人は自らが食べるものとその食べ方とを選んできた。「食の歴史」とはその選択の歴史である。そして、選択の基準は、多くの場合、食品の味や栄養価、入手可能性、経済性を超えて、文化がその食品にあたえた象徴的な価値にある。

    生産・交換・消費の歴史としての食
    人はまた、自分たちの土地でとれるものだけを食べてきたわけでもない。旧約聖書の記述は、近東では古代すでに広域にわたる小麦や油の取引がおこなわれていたことを示唆する。時代を下れば、北の海で漁獲される鱈は塩鱈にされ、南仏の港湾都市マルセイユの名物料理「塩鱈のブランダード」になる。昆布は琉球料理になくてはならない素材だが、沖縄近海では収穫されない。ヨーロッパの鱈も沖縄の昆布も、その定着は南北間の交易をぬきにしては考えられない。「食の歴史」とはまた「食物」という純然たる物資の生産と交換、消費の歴史でもある。

    「象徴」と「物資」としての食物
     「象徴としての食物」と「物資としての食物」は複雑に絡みあいながら、世界史の大きな動因となってきた。その好例が砂糖である。異国から到来する砂糖は古来、薬効をもつ調味料として高い価値をあたえられ、珍しさと高値ゆえに富の象徴となって有産階級にもてはやされた。「砂糖はコーランにしたがう」と言われたように、サトウキビの生産はイスラム教徒とともに地中海世界に進出し、中世にはヨーロッパにおける砂糖供給の大きな部分をアラブ人が担っていた。十六世紀、新世界に開かれたサトウキビ・プランテーションから旧大陸に大量に流入した安価な砂糖は、アラブ人の経済力が低下する一因となった。また、中南米プランテーションの労働力がアフリカからの奴隷に求められたことは、現在も続くアフリカ大陸の経済的停滞に帰結した。

    「歴史は胃袋を追いかける」
     アナール派の重鎮としてフランスの歴史学に指導的役割を果たした故ジャン=ルイ・フランドランと新進気鋭の歴史家、イタリアのマッシモ・モンタナーリの共同編集による本書は、食物のもつこの二つの側面――「象徴」と「物資」――に焦点をあてながら、先史時代から現代に到るまでのヨーロッパの食の変遷をたどった壮大な通史である。本書の大きな特徴は、「食の歴史」を個々の事象の積み重ねではなく、食というひとつの大きな構造体の進化の過程としてとらえているところにある。
     まさに「歴史は胃袋を追いかける」。私たちが過去に食べてきたものを通して、現在の食生活を考え、未来の食のあり方を探ることには大きな意味がある。未来の食を探るとは、私たち人類の未来を探ることにほかならないのだから。
    (きただい・みわこ/翻訳家)