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書評・紹介情報(2005年) 1月6日更新
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12月
トラテロルコの夜
図書新聞 12/24号
「'05年下半期読書アンケート」欄
【崎山政毅氏】
ようやくにして日本語読者に届いた、ラテンアメリカ随一の女性批評家の筆になる抜群の「歴史記述」。68年が、しばしばとりあげられる「あの68年」という単一像ではけっしてなく、暴力に決定的に向き合わざるを得なかった、さまざまなたたかいの複合体であることを如実に示してくれる。
トラテロルコの夜
図書新聞 12/24号
「'05年下半期読書アンケート」欄
【小倉英敬氏】
オリンピック開催直前の1968年10月2日にメキシコで発生した学生・知識人デモに対して行われた謀略的な暴力的鎮圧事件を、事件直後に関係者に対して行った膨大なインタビューを再構成することによって事件の真相を描き出した著者の代表作(1971年刊行)の翻訳である。「1968年歴史転換論」の視点からも、当時のメキシコにおける運動の背景や実態を知る上で有意義な書である。
生きる意味
週刊文春 12/22号
「文春図書館」欄【池澤夏樹氏】
 先日刊行された『生きる意味』を読んで、足下がぐらぐらと揺れるような感覚を味わった。まっすぐ立つのがおぼつかない、という読後感。自分の常識をどこまで疑えばいいのか。
 これはイリイチ自身の著書ではない。カナダ国営放送局でラジオのキャスターを務めるD・ケイリーとイリイチの対話集、ためらう本人を説得して実現したインタビューの記録である。 この中でイリイチは自分の主要な著書を書いたいきさつを一冊ごとに振り返って語り、それを批判する。彼は一つの思想を営々と築くのではなく、次々に自説を乗り越えてゆくような、交響曲ではなく変奏曲の人だったらしい。
 かくも強烈な思想はどういう精神から生まれるのだろうか。彼はカトリックの司祭であったが、やがて教会と対立してその資格を放棄した。メキシコで、開発という名の独善的な援助に反対する「異文化間資料センター」という組織を運営していた時期もある。
 彼の思考過程を律していた原理は何か、それを考えてみた。なぜ彼は「明日というものはあるでしょう。しかし、それについてわれわれが何かをいえるような、あるいは、何らかの力を発揮できるような未来というものは存在しないのです」と言うのか。
 人間は世界を有限化した。マジェランの航海によって地球のサイズを知り、観察と名付けと分類によって、世界をすっかり認識したと思っている。そして、世界を管理可能な、操作可能な対象と見なすようになった。それを彼は「世界を一個の全体としてとらえる以上、人間の時代は終わった」と受け止める。
 だからエコロジーのような思想が生まれる。世界とは環境であり資源である。収奪が可能なように操作や管理も可能だとエコロジストは言う。彼はその種の運動を雨乞いのダンスだと批判する。ダンスによって雨を降らせることは実際にはできない。
 世界を客観的に捕らえようとしてはいけない。なぜならわれわれは人間だから。すべての世界認識は自分が立っているそれぞれの場からなされるべきだ。だからイリイチは地球を宇宙から撮った写真に反対する。受精卵の写真に反対する。それは何が起こるかわからない旅の日々を旅程によってあらかじめ凍結してしまうようなことだ。(これはぼくの比喩)(中略)
 これから長い間、イリイチに憑依されそうな気がする。
子ども 戦世のなかで
12/4 朝日新聞
「読書」欄【飯沢耕太郎氏】
 「戦世」という言葉にドキリとさせられる。曲がりなりにも平和が続くこの国に暮らしていると、世界各地で今なお戦乱が続いていることをつい忘れがちにある。残念なことに、それは21世紀に入っても終息するどころか、より激しさを増しているようだ。大石芳野は1980年代以来、この「戦世」に焦点を合わせて写真を撮り続けてきた。ベトナム、カンボジア、ラオス、コソボ、アフガニスタン・・・・・・、このところ毎年のように刊行されている彼女の写真集を見ると、何か大きな使命感に突き動かされているようにも思えてくる。
 この写真集には「子ども」の写真を中心に167枚がおさめられている。たしかに戦争の刻印が最も痛々しく刻みつけられるのは、子どもたちの顔だろう。反対に彼らの顔が晴れ晴れと輝き、笑顔が戻ってくれば、「戦世」が終わりかけていることがわかる。(後略)
子ども 戦世のなかで
12/4 毎日新聞
「本と出会う」欄【中村桂子氏】
 カンボジアは1975年から79年のポル・ポト時代直後の1980年の写真であり、「全土のどこででも、闇を見つめるような表情がそこここにある」「自分の内部に閉じ込もったり過去に引き戻されたり、子どもの心の傷は深く生々しい」という眼が印象的だ。実は最初眼が恐いと書いた。でも恐いと言ってしまっては、この子たちの気持がわからなくなると思い、言葉を探したのだが見つからない。子どもというと、つい単純に見てしまうが、こんな眼をするのだ。でもやはり、心の中をすべて見せてくれる眼差しの方が子どもには合っている。(中略)
 写真は必ずしもすべてを語るものではない。意図的ではなくとも、ある面を切り取るだけだ。子どもたちの中には、違う眼もあるだろう。でも、このような眼を持つ子どもたちが世界のあちこちにいるという事実は、重く受け止めなければいけない。(中略)
 生れる場所は選べないのだから、すべての場所で子どもたちが理不尽な目に遭わないようしなければならない。167点の写真の中で子どもたちの眼が語ることに耳をすましたい。著者は、最後に「希望」という章を置いてくれた。嬉しそうに学校に行く子、自室でニッコリ笑う子。やはり子どもは希望である。
金時鐘詩集選 境界の詩
週刊金曜日 12/2号
「きんようぶんか」欄【本橋哲也氏】
 本書には金時鐘さんの二つの詩集『猪飼野詩集』『光州詩片』が収録されているほか、鶴見俊輔氏との対談、辻井喬氏のエッセイ、それに時鐘さん自身の「日本の詩への、私のラブコール」という一文が収められている。猪飼野と光州、40年代と80年代、日本と東アジア、在日と朝鮮、さまざまな場所と時間のあいだで、著者の詩の一語一語が、まさに具体的な痛みと音と血と匂いをともなって、私たち日本語読者を撃つ。マジョリティが疑おうともしないですんでいる日本語と日本人と日本国家との三位一体。平和な戦後という幻想。没社会的な観念の充足。身体を通さない言語の衰弱。これらすべてを、二つの詩集は完膚なきまでに破砕する。予想外の詞の組み合わせ、破格の文法、大胆な修辞、それらが単なる比喩と詩法でなく、叫びとなり、音楽を呼び、からだの底を揺らし、魂をわななかせ、嵐の玄界灘をまたぎ、東アジアの戦後を超える。
11月
五つの資本主義
11/27 朝日新聞
「読書」欄【松原隆一郎氏】
 なんでも市場化することを「改革」とみなし、制度や慣行・規制などの「構造」を、基調としては解体していく構造改革は、世界の潮流となっている。規制を緩和し解雇を容易にして、金融は銀行から株主中心へと移行させ、公的部門でも緊縮財政や民営化が推進されている。国際通貨基金や世界銀行が経済破綻した国々に融資を引き換えに課したからだが、日本では長期不況への手詰まりから自発的に採択、大陸欧州(とくに独仏)でも受け入れの圧力が強まっている。(中略)
 問題は、制度が市場にとって不可欠として、解体せずに改革する方針をどこに見いだすかだろう。青木は制度が「かつてのゲームの結果(均衡)」として、経済の中で自生するとみなした。けれどもそれだと、欧州の労使関係におけるような厳しい対立が記述できない。しかしレギュラシオンを継ぐ著者は、労使関係だけを特筆するのでは資本主義の多様性が見失われることに配慮し、青木説に「ルールとは経済とは別次元に属する政治対立の中で生成する」という自説を加え、制度経済論の集大成を図っている。圧巻は後半部で、多様なデータを解析し、そこから制度を分類して、資本主義を「市場ベース」「社会民主主義」「大陸欧州型」「南欧型」、そして日韓の「アジア型」という五つの「型」に類型化している。
五つの資本主義
11/27 日本経済新聞
「読書」欄
 資本主義は市場をベースに運営されなければならない。1990年代以降、世界的に有力になった考え方だ。本書は社会的な利害調整の場である政治と経済の制度的な結び付きを重視する「レギュラシオン理論」の立場から、資本主義はひとつではないと異を唱える。資本主義のモデルは五つ。市場ベース型、社会民主主義型、アジア型、大陸欧州型、南欧型だ。米英などアングロサクソン諸国が市場型、北欧諸国が社民型、独仏など欧州連合(EU)中核国が大陸欧州型、イタリア、スペインなどが南欧型、そして日本や韓国がアジア型に分類される。
 本書の真骨頂は製品市場、労働市場、金融システム、社会保障、教育システムについて各国の詳細な比較分析を行っている点である。(中略)
 高度な学識と健全な良識が融合した壮大なパノラマが本書である。
生きる意味
11/21 日本農業新聞
「読書」欄【宇根豊氏】
 もし、あなたが「あなたの妻には、どういう価値があるか」と問われたらどうだろうか。つい価値を探すかもしれない。イリイチはこういう質問をしたり答えたりする人間は破廉恥だ、と言う。家族を「価値」で見ることは、堕落でしかない。価値などなくても、家族も自然も食べ物も、存在することがうれしいのではなかったか。
 イリイチは、価値(有用性)は非価値(非有用性)という概念とセットで成立したんだよ、とささやく。じつは私は、この数年間ずっと有用性が証明できない「ただの虫」の存在の意味を考え続けてきた。
 全国どこに行っても、稲株の周りで、1〜5匹ほどのチビゲンゴロウが泳いでいる。体長1ミリほどの小さな小さな生き物だ。たぶんこれからも有用性は証明できない虫だろう。しかし、こうした私の気持ちがすでに、近代的な固定観念にとらわれている。懸命に価値を探すことで、世界が見えなくなっていることに気付かないでいた。
(中略)
 このように、この本を読みながら、私はぶつかっている壁を幾つも越えることができた。すでに3年前にこの世を去った思想家の実に深い思想の集大成を、こうしてインタビューというスタイルで読める幸せをかみしめたい。
子ども 戦世のなかで
11/20 山陽新聞ほか
「読書」欄
 笑顔、泣き顔、澄まし顔。飾らないすてきな表情があふれている。ただ、よくある子ども写真集とは違う。現場はすべて戦争や内戦、原発事故の深刻な傷を残す場所だ。
 ベトナム、カンボジア、ラオス、コソボ、アフガニスタン、ウクライナ。幼い、真剣なまなざしに、ときに救われ、ときにおののきつつ、著者が二十年以上撮り続けた写真の集成である。
 その屈託のなさに大人は救われる。掛け替えのなさは世界のどこの子どもであれ、変わりはない。しかし、大人は彼らに、何を返せるのか。
子ども 戦世のなかで
11/20 神戸新聞
「本」欄
 戦争でまず犠牲になるのは小さな子供たちだ。戦場を取材してきた写真家の大石芳野さんが、二十五年間に撮った写真167枚を集成した。
 初めに子供を撮影対象として意識したのは、ポル・ポト政権崩壊直後のカンボジア。以前訪ねた戦争中の旧南ベトナムでさえ、「この子らのような異様さはなかった」と感じた。以来、少年少女たちの声なき声に耳を澄ませるようになった。
 カンボジア・タケオ州で1981年に撮った写真は、虐殺死体の骨を凝視する子供たちの目が恐怖におののいていた。戦場ばかりではない。旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の影響もすさまじい。
生きる意味
11/20 朝日新聞
「読書」欄【柄谷行人氏】
 本書は、三年前に死んだ思想家イバン・イリイチへのインタビューに基づく書である。イリイチは、1970年代にメキシコを拠点にして、資本主義による地域開発・破壊に反対し、学校や病院の制度を批判する活動や著作で知られるようになった。その当時はラディカルな思想家として知られていたが、80年代になって、むしろ反動的な思想家として批判された。男女の仕事が区別されていた近代以前の共同体社会を称賛したり、途上国への経済援助・ボランティア活動に反対したりしたからである。以来、彼の思想はきちんと検討されることがないまま、次第に消えてしまったという印象がある。その出自も謎につつまれたままであった。
 本書を読むと、イリイチ自身の言葉で、多くのことが明らかにされている。彼はクロアチア人の父とユダヤ人の母のもとにウィーンに生まれ、ナチの時代にユダヤ人として迫害され、米国に渡った。しかし、本人はカトリックの信仰をもち、プエルトリコやメキシコで司祭として働いた。そこで、右に述べたような活動の結果、教会と対立し、司祭の資格を放棄するにいたった。もちろん、それは信仰の放棄ではなかった。むしろ信仰の徹底化こそが、そのような結果に導いたのである。
 イリイチは経済学者カール・ポランニーに共感し、その関係で、『エコノミーとエコロジー』を書いた玉野井芳郎とも親しかったという。そのことがわかると、イリイチの立場はかなり明瞭になる。ポランニーも玉野井も、互酬制的な経済を未来に実現することを目指すタイプの社会主義者であった。つまり、イリイチもたんに共同体を称賛したり、そこに回帰することを説いたりしていたのではない。資本主義市場経済の深化によって何がうしなわれたのかを強調したのは、それがわかっていないかぎり、未来がありえないからである。
(後略)
子ども 戦世のなかで
CAPA 12月号
「BOOKS SELECTION」欄
 戦争の傷跡を取材している過程で、作者が子どもを被写体にと強く意識したのはポル・ポト政権崩壊後のカンボジアだったという。彼らは恐怖に満ち、不意に言葉をかけるとひどく驚く姿があった。作者は国の状況を冷静に見つめながら、ひとりひとりの子どもとその家族の中に入り込んでいく。それは、その悲しみを自分のものとし、写真と文章で伝えるために。写された子どもの多くが、作者の眼を凛と見つめ、そこにつながれた絆の存在を感じる。ベトナム、カンボジア、ラオス、コソボ、アフガニスタン、チェルノブイリと続いた物語は、希望という章で結ばれている。
坂本多加雄選集I・II
11/17 産経新聞
「文化」欄【櫻田淳氏】
 全二巻1200ページ近くになる本選集に収録された論稿の中心を占めるのは、故・坂本多加雄教授が遺した論稿の中でも、既に刊行された単行書に収められるに至らなかったものである。これらの論稿は、もし本選集の刊行がなければ、世の人々の眼に触れることは難しかったかもしれない。
 また、これらの論稿が執筆されたのは、坂本教授が活動した期間の全てに及んでいるし、その論稿の体裁もまた、学術誌に載せたものから新聞・論壇誌に寄せたものまで多岐にわたっている。本選集の刊行は、その意味でも意義深いものであり、収録された論稿のライン・アップは、坂本教授の知識人としての姿勢や思考の軌跡を辿るには、誠に適切なものである。編集に携わった杉原志啓氏の努力には、敬服するより他はない。
(中略)
 評者が接した坂本教授は、本選集に収録された幾多の論稿に醸し出されるように、慎慮と中庸と情熱の人士であった。評者は、「国家」や「政治」を語る構えにおいて坂本教授に共鳴を覚えていたし、知識人としての坂本教授には憧憬の念すら抱いていた。本選集は、そうした坂本教授への「共鳴」と「憧憬」を新たにさせるものであった。
別冊環I サルトル
日本経済新聞 11/19
「文化往来」欄
 今年はフランスの作家で思想家であるジャン=ポール・サルトルの生誕百年にあたるが、雑誌「環」は別冊で、サルトルを特集している。
 興味深いのは、日本翻訳出版文化賞を受賞した『サルトルの世紀』(ベルナール=アンリ・レヴィ著)を監訳した石崎晴己青山学院大教授と澤田直白百合女子大教授の「いま、なぜサルトルか?」という対談。1980年にサルトルが死去した時、五万人の市民が墓地まで歩いて死を悼んだほど戦後社会に大きな影響を与えたサルトルが、80年代以降忘れられ、今再び見直されてきたのはなぜかという問題意識で討議している。
 澤田教授はサルトルには「アクチュアル(時事的)な思考を支える、もっと強固な基盤が思考の中にある」とし、「引きこもりの問題とかニートの問題とか、現代のいろいろな問題が、実はサルトルの中にある」と指摘。また石崎教授は「サルトルを考える場合、書かれた作品だけではなく、その生き方、行動様式の全体を考えなければ駄目だ」と強調する。
 フランスからはフランソワ・ヌーデルマン・パリ第八大学教授の「脱世代化するサルトル」やジャン・フランソワ・ルエット・パリ第四大学教授の「サルトルの遺産」などの論考が寄せられている。
反時代的思索者
週刊読書人 11/11号
「読物文化」欄【宍戸修氏】
唐木順三の京都哲学科の先輩にあたる三木清は、思索は下から昇ってゆくものであるとすれば、瞑想は上から下りてくるものである」(『人生論ノート』)という言葉を書き残している。
 粕谷一希氏の本書全篇を貫いているトーンには、上から降りてくるものである瞑想的要素が流れている。
 長年の編集者としての時代を凝視するシャープな眼と思索に基礎づけられた唐木論であることはいうまでもない。しかし粕谷氏のスタンスは、思索のエリアを超えた静かなる自由な感覚で唐木をとらえている。
 しかしながら唐木という存在とその周辺をここまで総合的に論じたものは、類を見ない。『あづまみちのく』の「実朝の首」は、無用者の系譜の「在原業平」とともに私にとって忘れることのできない作品だが、この「実朝の首」の原稿を唐木からまかされ、編集を手がけたのが粕谷氏であったことを知ったのは本書によってであった。粕谷氏が学生時代から唐木を敬服しつづけたその熱意が、「実朝の首」を生み出したともいえよう。
(中略)
 唐木を追いながら昭和を生きた小林秀雄、西田幾多郎、京都学派の西谷啓治、高山岩男、そして丸山眞男、清水幾太郎などの人物が昭和文化の絵巻物を見るように流れていて、昭和という時代の断面を切り開く文化史的要素をもったものである。
 それだけではない。大正、昭和を生きたに恩の文化人の重大なテーマである「教養」ということに踏みこみ、唐木の代表作の一つ『現代史への試み』を分析批判している。教養主義はけして現実を無視した観念主義ではないと唐木に真正面から切りこんでいる点、本書の「芯」の一つとなる章である。自由な瞑想的感性を漂わせて展開する本書は、唐木論であると同時に、日本の現代史を唐木の存在をとおして無理なく思索することができる。
 自由な流れで不思議な力をもった瞑想の書であり、思索の書でもある。
生きる意味
11/6 東京新聞
「読書」欄【渡辺京二氏】
 イリイチが死んで三年がたつ。彼が亡くなる十年以上前のインタビューだから、本書を彼の遺言と呼ぶことはできない。しかし、ほとんど遺言を聴くような思いで私はこの本を読んだ。切なくも深沈たる白鳥の歌。
 彼は高度産業化社会へのラジカルな批判者として、1970年代後半わが国でももてはやされたことがある。だが、この異色の思想家が全貌を現したのは、80年代の『ジェンダー』以降の著作においてだった。フェミニストを先頭とする左翼は、このラジカリストの正体は伝統主義者らしいと気づいた。以降、彼の名は論壇から急速に消えた。
 インタビューで彼ははっきりと、自分は「過去のなごり、別の時代からの生き残り」だと認めている。その姿勢自体を論議するのはやさしい。だが重要なのは、「より伝統に即した主張」をすることで、彼が現代文明に対して「異邦人」になれたという事実だ。だからこそ、おそらく彼だけにこの世界の異様さが見えた。
 彼はもはや学校化・病院化・高速化といった過去の主題について語ろうとしない。80年代半ば世界は大きく変わったという。人間はついに、管理され統御されるシステムの一部として自己をイメージするようになった。しかもこの管理は、世界を救うとかよりよいものにするという専門家の責任倫理の形をとる。生命というイメージも一種の暴力に変換される。彼は生命とか責任という言葉をもう自分は使わないという。宇宙空間から撮った地球や母胎内の子どもの写真を暴力と感じるイリイチの感性。私はいつのまにか自分がうなだれているのを感じた。
 われわれに未来はないし、徹底的に無力なのだと知るべきだと彼はいう。残されているのは「いまこの瞬間こうしていきいきとして存在していることを深く楽しみ、互いにそうすることをすすめあうこと」だ。これが諦めでも説教でもない偉大な言葉であるのを知るためにも、ぜひこの一冊を読みあげてほしい。
10月
作家の誕生
10/30 信濃毎日新聞
「書評」欄【清水良典氏】
 今日の文化の中心を占める「文学」あるいは「作家」というものは、いつごろ、どんなふうに社会に生まれて認められてきたものなのか、本書はそれを十七世紀のフランスを対象に発掘し、分析した労作である。現代思想に大きな影響を与えたフランスの社会学者ピエール・ブルデューは、文学を芸術として尊ぶ言説が飛び交う社会空間を「文学場」と名付け、近代の文学場は出版市場が定着した十九世紀フランスの第二帝政期に成立したと述べた。著者はそのブルデューの学説に準拠しつつ、文学場が誕生したプロセスをさらに十七世紀までさかのぼってみせた。十七世紀のフランス文学といえば、文学史上は「古典主義時代」と区分されている。私も含めてたいていの読者には、せいぜいモリエールやラシーヌくらいしか心当たりはあるまい。デカルトやニュートンも同世代だが、はたしてどんな「作家」がいたのか。本書はそういう未知の時代への詳細な道しるべ役も果たしてくれる。(後略)
子ども 戦世のなかで
10/27 夕刊 読売新聞
「近況」欄
 写真家の大石芳野さんが、写真集「子ども 戦世のなかで」を出版した。1980年のカンボジアから今年のベトナムやラオスまで、25年間に出会った子供たちの表情を選び、収録している。
 表紙に登場する少年は、12歳のアジェットくん。99年、コソボを訪れた時に撮影した。まっすぐに向けた大きな瞳が印象的だ。唇をかすかに開け、何かを言おうとしているようでもある。
 アジェットくんは、セルビア勢力の急襲で、家族を亡くした。初めて、大石さんが声をかけた時は、よそよそしいそぶりを見せるだけだったという。再会して言葉を交わすうち、少しずつ感情が見えてきた。
 「戦争や内乱によって、子供たちは、憎しみや怒りを通り越してしまうほど深い傷を心に受ける。絶望を押し殺し、懸命に生きる姿そのものが、メッセージのように感じられるのです。と大石さんは話す。だから、どこに出かけても、まず、子供たちに目がいくのだろう。時には、あまりに大人びた顔つきにうろたえながらシャッターを切ることもあるという。
 けれど、彼らが見せるのは憂いだけではない。写真集を締めくくる章、「希望」では、家族や友人と過ごす子供たちの笑顔や、新たな生命の誕生をとらえた写真が並ぶ。
 掲載した約170点は、すべてモノクロ写真。色彩に邪魔されず、彼らの内面を感じ取ってほしいという思いからだ。
 アジェットくんは今、18歳。どんな青年に成長したのか、どんな思いを抱いて過ごしているのか。出会ってきた子供たち一人ひとりの〈今〉に思いをはせながら、大石さんはまた、彼らに会いに行こうと考えているそうだ。
金時鐘詩集 境界の詩
10/15 福島民報
「著者と語る」欄
 「日本に居住する『在日』は、日本に取り残された『他者』のような存在。意固地なまでに原初的な民族性を保ち、朝鮮人であろうとした悲しみを形にした詩集が、今の時代にどう読まれるか神妙な気持ちです」
 大阪市生野区に広がる「在日」集落のかつての町名をタイトルにした「猪飼野詩集」(1978年)、80年の光州事件の衝撃から生まれた「光州詩片」(83年)を一冊に合わせて復刻。巻末に哲学者の鶴見俊輔氏との対談を収録した。
 表題の「境界」は「きょうがい」と読ませる。「『在日』と日本という、深い裂け目を抱えながら、近接する関係をイメージしつつ、そこで生きる存在の心情、その境涯にも思いをはせようと・・・」
 「光州詩片」は、民主化を求めた韓国、光州市民を軍事政権が武力鎮圧し、多数が死傷した事件への深い憤りを込めた詩集。「あの惨劇を安穏な日本から眺める自分への、いら立たしさと無力感。無念の死者はあの世でも、目を閉じることができないと思った。私なりの死者への弔いを担い続けようと考えた」
 その思いは例えば「暴虐は記憶までは砕ききれない。/光州は要求であり/拒絶であり/回生である。」という詩句に刻まれる。言葉には、日本の観念詩や叙情詩への鋭い批評性もがはらまれる。
 「日本の詩壇は、『他者』と切れた『私』の思念にこもる観念詩ばかりで、言葉が『私』で完結している。でも私は、すべての人が自分の詩を生きていて、その『他者』の生を言葉で表すのが詩人の務めと思う」
 「他者」への視線を失い、批評性を置き忘れ、内側で自足する現代詩の光景。「それは私には、自民圧勝など大きなきしみ音を立ててぐるっと回ろうとする現代日本の姿と、重なって見える」
 日本の現代詩から屹立するその世界を、鶴見氏は対談で「感情そのものが批評」であるような地点に立つ詩業と評した。
 「詩集を最初に編んだ時の自負は今もある。今回の復刻で、『他者』とつながることへの願いを、今の人たちにも届けることができればと思う。
シカの白ちゃん
10/17 東京新聞
「筆洗」欄
 『シカの白ちゃん』は、随筆家の岡部伊都子さんが二十二年前、小学生向けに書いた「白ちゃん」と呼ばれた奈良公園の雌鹿の哀しくも優しい物語。白ちゃんの一生をカメラで追い続けた写真家の飯村稀市さんの美しいモノクロ作品と合わせ、子どもたちの心をとらえて放さなかった名作だ。筑摩書房のこの往年のベストセラーを、中国・蘇州の人気歌手、李広宏さんが中国語に翻訳、『梅花鹿“小白”的故事』と題して日本語と見開きの中国語対訳として藤原書店から出版した。李さんの作詞作曲になる日中、両国語の歌と朗読も収めた二枚のCD付きマルチメディア本である。
 白ちゃんは1954年に奈良公園で生まれた実在の雌鹿。珍しいことに頭のてっぺんに白い房飾りのような毛が生えており、「白ちゃん」と呼ばれて一躍公園の人気者になった。だが、目立ちすぎてか群れになじめず、やっと九歳で母親になれたが、その子鹿をすぐに交通事故でなくし、孤独の中、自身も十八歳の夏に交通事故で死ぬ。岡部さんが「泣き泣き幼い人のためにつづった」この哀しい物語が、李さんの心を打った。二年前、韓国語にも翻訳されたと知った李さんは自ら翻訳を決心する。
 李さんの思いは「白ちゃんが 私に夢の中で告げる この地球はみんなの 美しい世界 互いに希望を持ち 未来を描き みどりの大地に 仲良く生きる」の歌詞に凝縮される。日中両国民に共通する愛と感動を伝え合う心。歴史問題や海底資源でぎくしゃくする両国関係に必要なのはこの「小白的」希望だ。
サムライに恋した英国娘
10/16 日本経済新聞
「読書」欄【黒岩比佐子氏】
 約百二十年前、英国娘が日本人留学生に書いた恋文。それを読んで、不覚にも涙が出そうになった。恋の結末 を知っているからだ。
 森鴎外と『舞姫』エリスの例を挙げるまでもなく、明治初期に留学先で外国の女性と恋愛した日本の若者は少なくない。だが、多くは帰国によって引き裂かれた。
 「男爵いも」で知られる男爵川田龍吉にも、留学先のスコットランドで知り合ったジニーという娘との秘められたロマンスがあった。彼の死後、ジニーから受け取った八十九通の手紙が発見されたのである。二人は婚約したが、帰国した龍吉は父親の頑強な反対にあい、日本女性と不本意な結婚をせざるをえなかった。以後、龍吉とジニーは一度も会っていない。
 鴎外が“普請中”の日本のために恋人を捨てたように、龍吉も国や家のためにジニーを裏切った。明治の留学生のロマンスが、こうした手紙の形で遺されているのは珍しい。十九世紀に日本と西欧のはざまで花開いた恋がいかに困難なものだったかがわかるだけに、ジニーの手紙の言葉が胸を打つ。
 造船界で名声を得た龍吉は、後半生でスコットランドを思わせる北海道に隠棲して、農業に生きがいを見いだす。そこでジャガイモ栽培に打ち込むのだが、あるいはジニーへの贖罪の意識があったのだろうか。著者は彼女の手がかりを追い、結婚したことまでは追跡できたが、その後は不明だという。
 敬虔なクリスチャンだったジニーは、龍吉に教会に行くように勧めていたが、「天皇崇拝」で育った龍吉は、その点だけはついに彼女に同意できずにいた。だが、九十二歳のとき、彼はトラピスト修道院で洗礼を受けて、周囲を驚かせる。それまで感情を爆発させ、荒れることもあった龍吉が、洗礼後は人が変わったように穏やかになり、九十五歳の天寿を全うする。
 造船や農業の分野で功績を遺しつつも、幸福な家庭人として生きられなかった龍吉は、最晩年に己の生涯をふり返り、若き日の夢や希望を思い出していたのではないか。それは、様々なものを切り捨てて、近代化を急いできた明治日本の姿にも重なって見えた。
サムライに恋した英国娘
サンデー毎日 10/23号
「さて、本題」欄【水口義朗氏】
 富国強兵に熱心だった明治政府は、ロンドンにつぐ英国第二の都市スコットランドのグラスゴーの工業技術に目をつける。紡績工業と造船など重工業の発展で“世界の工場”と称されていた。明治九(1976)年から大正三年までに四十人以上の日本人留学生が、グラスゴー大学で学んだ。
 本書の主人公川田龍吉は、私費留学で七年間、造船所のさまざまな部門の実習からスタートし、グラスゴー大学工学部で学んだ。龍吉二十一歳。
 龍吉の留学費は、三菱会社からの派遣留学という形になったが、明治政府が留学生派遣積極策で、明治三年から五年までの三年間に、米英仏独露へ送った留学生は七百五十人。私費留学の龍吉はの留学の費用は約六千円、いまの金で約六千万円だから、いかに日本国が西洋から学ぶことに力を注いだかと驚嘆する。
 さて、この本の白眉は、二十七歳のとき知り合ったグラスゴーの本屋の女性店員、十九歳のジニー・イーディー嬢が、龍吉と取り交わした百通の手紙にある。恋に落ち、結婚の約束をし、別離に至るまでの乙女のつつましく、ういういしく、相手を思いやる心根あふれたラブレター。ジニーは敬虔なクリスチャンで、教会に龍吉を誘う。土佐郷士の家に生まれ、勤王攘夷運動の影響を受け、天皇崇拝の龍吉は、心情に反する教会を拒否していた。
 龍吉はジニーと結婚するつもりで父小一郎を必死に説得する。しかし、小一郎は土佐の下級武士の出身で、成り上がり、第三代日銀総裁、男爵までなった男。長男の龍吉は、家格を高める相手と結婚させられる。
 龍吉は現在、横浜ランドマークタワー下にある横浜ドックを建設し、北海道に隠棲して“男爵いも”を栽培する。北海道の旧川田農場で発見された恋文は初め、金庫の奥深くに一房の金髪と共に封印されていた。
 九十二歳のとき龍吉は受洗する。百二十年前の英国娘の恋文の清冽さは値千金なり。
サムライに恋した英国娘
10/9 毎日新聞
「本と出会う」欄【森谷正規氏】
 龍吉は土佐の郷士の出であったが、父小一郎が同郷の岩崎弥太郎の下で仕事をして出世して、父の意志で15歳から英語を学び始めた。やがて船舶修理のために横浜に築いた三菱鉄工所の技術力を高めるために、英国への留学を命じられた。父が、来日していたグラスゴーの造船所のオーナーに息子の教育を頼み込んだのだ。1977年、21歳で英国に留学した。
 その留学は長かった。造船所の現場で実習生として技能を身につけ、工学の知識を修得するためにグラスゴー大学に学んだ。留学は6年目になった。勉学に熱心な龍吉はしばしば書店に足を運んだが、そこで女店員ジニーと知り合った。ジニーからの最初の手紙は、龍吉が探していた地図を購入する意志があるのかどうかを確認する簡単なものであった。二人はたちまち恋に落ちた。手紙の宛名はカワダ様からリョウ様に、そしてリョウに変わった。
(中略)
 1年半ほどの間にジニーが出した百通ほどの恋文の大半を読むことができる。長いもの、短いものさまざまであるが、異国に淋しく暮らす日本人への切々たる思いにホロリとさせられる。昔の純愛はこのようなものであった。毎週のように会っていながらも、深い思いを手紙で伝えたくなるのだ。恋文が恋には欠かせないものであった。そして手紙であるから、いまも残っている。二人の熱愛に思いを馳せることができる。
 熱愛むなしく悲恋に終わったが、それは龍吉が川田家の長男で、しかも小一郎は功績を上げて男爵に叙せられて名門になっていたからだ。異国の娘を嫁にするわけにはいかなかった。帰国した龍吉は造船技師として活躍したが、後に英国に似た風土の北海道に農場を開いて、ジャガイモの栽培を始めた。それが男爵イモである。
シカの白ちゃん
10/2 奈良新聞
「読書」欄
 随筆家の岡部伊都子さんが奈良公園に実在した雌鹿の一生を題材に執筆した童話「シカの白ちゃん」(飯村稀市写真、昭和58年初版)の中国語対訳版が出版された。「白ちゃん」は二十九年生まれ。頭に白い冠状の毛がある突然変異で人間たちは「奈良公園の女王」ともてはやしたが仲間からは警戒された。母鹿は人間が捨てたビニールを食べたのが原因で死に、八年目にようやく「結婚」して授かった子鹿は生後十六日で車にはねられて亡くなった。その後、長い孤独を生きた「白ちゃん」もまた、十八歳で交通事故死する。
 中国語対訳版は「蘇州夜曲」の訳詞でも知られる中国人テノール歌手李広宏さんの熱意で表現。親子、夫婦の情愛や、人間の身勝手さへの警鐘などのテーマに感動した李さんが作詞作曲した「シカの白ちゃん」の歌と物語の朗読を二カ国語で収めたCDも付いている。
作家の誕生
10/2 読売新聞
「よみうり堂」欄【竹内洋氏】
 有名作家は長者番付に名前をつらね、文学賞の選考委員として君臨している。作家が職業として成り立ち、文壇のような作家たちの固有の世界が誕生したのはいつごろなのだろうか。
 文学が貴族やブルジョアの片手間仕事だったり、パトロンの庇護によっていたものが、商業出版などによって自律した固有領域となったのは、19世紀前半とされてきた。本書は、こうした文学史の決まり文句に果敢に挑戦する。モリエールやラシーヌなどが活躍したフランスを舞台に古典主義時代(17世紀)こそ文学空間の自律が成立した時代だとする。もちろん17世紀の文学活動は、メセーヌ(文芸庇護者)やクリエンテリズモ(有力者が自らの影響力を広げるため恩恵とひきかえに多くの者を配下に抱える慣習)とともにあったが、ジャーナリズムやサロンの拡大による大量化した読者層によって職業としての作家が誕生する。1600年から1700年にかけて、著作物は2.5倍になり、売り上げの6-8パーセントが印税として支払われていたという。
 文学が自律した固有空間の輪郭をもつと、文学場の権力にしたがいながら一歩一歩出世する「地道な戦略」をとる作家と拡大した読者を盾にして既存の文壇権力を転覆する「華々しい成功戦略」をとる作家がでてくる。ここらあたりについては、個々の作家の出自や経歴、作品を照合しながら説き及んでいる。文学場が自律する過程を作家戦略のせめぎあいとして戦場のように描いており、存分に知的興奮がえられる。
 たしかに近代は、文学の固有空間化であった。だが、20世紀後半からのポストモダン化は、本書とはまったく逆にあらゆる固有場の脱自律化や融解をもたらしている。作家の芸能人化や芸能人の作家化などのように。後世の人は、いまの時代をこういうだろうか。文学という固有領域の終焉、作家の終焉の始まりの時代だったと。
竹内浩三楽書き詩集 まんがのよろづや
婦人之友 10月号
「読書のひとときに」欄【池内紀氏】
 竹内浩三が生まれた三重県伊勢市は、以前は「宇治山田市」と呼ばれていた。宇治と山田町が合わさったからだ。土地の人には宇治山田のほうがなじみ深い。中学(旧制)も宇治山田中学といった。略して「山中」である。
 その山中の二年のとき、竹内浩三は「我が学校」と題する作文を書いた。「白ペンキが外板にはげちょろげになっていて、鳩のふんが屋根に点々とサインをしている建物」のことからはじめて、そこで「喜んだり、泣いたり、笑ったり、怒ったり、わめいたり、悲観したり、手を挙げたり、考えたり、弁当を食べたり、けんかをしたり、説教をされたり」している自分たちのこと。
「その中の人間は、山中健児で、皆山中精神をもって動いている」
 大正十年(1921)生まれ。昭和九年、宇治山田中学に入学。その二年生のときだから、昭和十年(1935)である。戦争になだれこむ前の小春日和のようなひとときだった。『竹内浩三楽書き詩集』は山中健児による山中精神の記録である。そこにのちの詩が加わって、風変わりな一冊ができた。そのユニークさは「まんがのよろづや」のサブタイトルに添えられた次の二行からもわかるだろう。
 絵・文 竹内浩三
 構成・絵 よしだみどり
 現代の優れた作家・画家が、旧制中学生の手作りの回覧雑誌にちらばっていたマンガを集め、配列し、色をつけた。そのようにして粗末な紙の証言を、あざやかに甦らせた。
(中略)
 友人が満洲で戦死と知らされたとき、カタカナによる返事をした。
「タヨリヲシテモ、返事ハナイノデアル。ヨンデモ、コタエナイ。ナイノデアル。満洲デ、秋ノ雲ノヨウニ、トケテシマッタ」
 電文のようなカタカナ書きにしたのは、一切の情緒を拒みたかったからではなかろうか。ここから「骨のうたう」は、ほんの一歩だ。
 戦死やあわれ
 兵隊の死ぬるやあわれ
 遠い他国で ひょんと死ぬるや・・・
この骨のズイまでやさしさのつまった人に、国家は「斬り込み隊員」を命じてフィリピンへ送った。公報には戦死とあるが、さきに自らが骨になっていた。そして骨にうたわせた。
サルトルの世紀
ふらんす 10月号
「書評」欄【生方淳子氏】
 フランスでも忘れられたかに見えたサルトルが、20世紀最後の年にあらためて再注目されたのはB-H・レヴィの大著『サルトルの世紀』によるところが大きい。その話題の書がサルトル生誕100年の今年、邦訳出版された。
(中略)
 彼の視界の広さと知的スピード感、奔放な比喩と目の覚めるような挑発の魅力は否定しがたい。20世紀フランスから見た文学と哲学のスターが総出演するだけではない。フランス思想を形成する幾多の言説をことごとく呑みこみ砕いて作り変える「錬金術」としてのサルトル作品が一切の理論武装なしに千変万化するイメージ豊かな言葉で語られているのだ。ジッドの「真珠貝」に対抗してアメリカ小説の「ゲリラ」を送りこみ、ハイデガーをベルグソンの「プリズム」にかけて偏光させる、という具合である。
 また、『サルトルの世紀』という題名には21世紀に不安を投げかける「悪」を前に、ヒューマニズムを標榜する超大国の軍事力に抗してフランス的な言説の戦略を復権させようとのメッセージが聞き取れる。
9月
石牟礼道子全集・不知火
9/18 毎日新聞
「本と出会う」欄
 1956年5月に、チッソ水俣病院の医師が「この地域に原因不明の中枢神経疾患の患者が多発している」と水俣市保健所に届け出た。水俣病の公式発見である。それから50年が経とうとしている。半世紀という歳月にもかかわらず、水俣病は依然として現代の問題でありつづけている。それは被害の救済や補償の問題が解決していないからというだけではない。水俣病を生んだ原理が現に今も生きており、形を変えて世界の各地で多くの災厄を生んでいるからである。最近のアスベスト問題をみると、残念ながらこの日本も例外ではない。だからこそ、この時期に石牟礼道子さんの『苦海浄土』をはじめとする水俣病三部作が完結するとともに、『石牟礼道子全集 不知火』の発刊が始まったことは貴重である。
 水俣病患者とその家族たちの苦しみは、有機水銀中毒に伴う病苦や経済的困窮だけではなかった。企業城下町の下で人と人とのつながりが切り裂かれていくことの苦痛もまた大きかったのである。水俣病は、健康や生命を破壊したのであるが、同時に生活と地域社会の破壊としてさまざまな悲劇を生み出した。水俣に生まれ、水俣の自然や人々の生活を知り尽くした石牟礼さんが水俣の言葉で語る思いは、静かな語り口ではあるが、悲劇の実相とその背後にある産業社会と国家の欺瞞を鋭く告発している。文章に描かれる自然の美しさが、水俣病を生み出した近代化の反自然的性格を一層際立たせている。地球温暖化問題にみられるように、経済発展や産業社会のあり方を根本的に見直すことが求められている今日、この三部作の価値はますます高まっている。
 なお、『苦海浄土――わが水俣病』の新装版が文庫に収められるにあたり、石牟礼同様水俣病を考え続けた原田正純の解説「水俣病の五十年」が増補された。あわせて読むことで水俣病問題の経緯とその本質についての理解が深まるであろう。
ドキュメント・沖縄 1945
週刊東洋経済 9/10号
「短評」欄
 連合国による日本の占領が始まったのはいつからだろうか。1945年8月?
 確かにマッカーサー元帥が厚木に降り立ったのは8月だが、すでに4月からある地方では占領が始まっていた。沖縄である。
 戦争の敗北が決定的となっていた45年4月1日、米軍が沖縄本島に上陸した。本土決戦の時期を遅らせるため、沖縄県民の生命と財産を犠牲にして行われた悲惨な戦闘の始まりだった。この戦闘では、一般の成人男性はもちろん、年端もいかぬ女学校の生徒までが軍の役務に駆り出され、多くの住民の命が失われた。
 本書は、米軍の上陸から6月23日の牛島満司令官の自決による沖縄守備軍崩壊までの状況を、日々の日誌風にまとめたドキュメント。読むと沖縄県民や日米両軍の兵士が、いかに過酷で悲惨な状況に置かれていたかがわかる。
 沖縄県民が今もって「戦争の記憶」と「平和」に徹底的にこだわる理由もよく理解できる。
世紀の恋人
フラン・パルレ 9月号
「フラン・パルレ文庫」欄
 20世紀思想の大きな波の一つ、実存主義。そのまさに中心に位置するボーヴォワールとサルトルを、晩年の側近である著者自身によって甦らせる。彼女たちの出会いから別れを追うことは、ある視点からの20世紀の略図でもあり、膨大な思想の遍歴、偉大な作品の誕生の瞬間、又は小さな恋愛・友情の物語でもあり、そして何よりも著者による憧れの具体化でもあるのだ。サルトル生誕100年を迎える今年、恋人たちを世界はどう取り巻いていたのだろうか。
サルトルの世紀
9/4 東京新聞
 今年はサルトル生誕百年にあたる。著者はそのサルトルを「同時にすべてのジャンルを動員した、彼の世代で唯一の人物」だとする。それはサルトルが哲学者であり、作家であり、世界中のさまざまな政治的問題について発言した人であるというだけのことではない。サルトルは複数のサルトルであった。つねに「自分に逆らって、自分の頭の骨を折る」ような「自己解体」の人であった。著者はそのような矛盾だらけのサルトルを、多様な視点から描く。
(中略)
 本書が一般の読者にとっても面白いのは、著者が師事したフランスの著名な哲学者アルチュセールの研究室の乱雑なありさまが描かれていたり、サルトルに影響を与えたユダヤ系の思想家レヴィナスのアパルトマンを訪ねたときの逸話などが報告されているからでもある。サルトル自身も何度か顔を見せる。したがって本書は、サルトルの世紀である20世紀の思想史であり、思想家達の生きた姿も見せてくれる。また思想の書物でありながら、小説のような面白さを持っている。サルトルの「甦り」に力を尽くしてきた、石崎晴己、澤田直たちの優れた翻訳も大きな役割を演じているためである。
マーラー 交響曲のすべて
9/1 クラシックジャーナル
「BOOK」欄【中川右介氏】
 著者のフローロスは1930年ギリシャ生まれでウィーンで勉強した音楽理論の教授。マーラー、ブルックナー、ベルクに関する著作がある。今回はマーラーの交響曲に絞った大作である。
 要約すれば、マーラーの交響曲はすべて「標題音楽」である、ということを論証する本だ。ただし、ここで問題となるのが、「標題音楽」と「絶対音楽」の定義。フローロスは「標題音楽」をかなり広義に捉える。存在に関する問いかけや、言葉では表現できない理念を音楽にしていれば、それは具体的なタイトルが与えられていなくても、標題音楽なのである。
 この論でいけば、マーラーに限らず、ベートーヴェン以後の大半の交響曲は標題音楽になるようにも思えるのだが、とにかく、著者はマーラー交響曲を徹底的に分析していく。
 標題音楽だと断定するからといって、第五番のようにタイトルのない作品に無理矢理に表題をつけるようなことはしない。一曲ごとにその作品成立の過程を詳述し、マーラーがどのような思いでその曲を書いていったかを論証していく。
曼荼羅の思想
9/1 東京新聞
 Aを正しいと信じたら、Aでないものはすべて排除する。そんな固定化したスタティック(静的)な世界のとらえ方が、例えばブッシュの一国主義を生む。液体のように混ざり合い流れていくダイナミック(動的)で開かれた曼荼羅が、あらゆる文化・政治・民族・宗教を包み込み、和をなす共生の道を示す。南方熊楠の「南方曼荼羅」にひきつけられた思想家が宗教の第一人者と繰り広げる、世界の未来に向けた曼荼羅論。
8月
「アジア」の渚で
三田評論 7・8月号
「執筆ノート」欄【吉増剛造氏】
 書物の戸口――。家にも色々の扉、ドア、柴折り戸、あるいは潜り戸のようなものがあるように「書物」にも扉、その戸に射すひかり、漏れてくるひかりの精妙な屈折、変化があって、そのひかりの不意の刻目(きざみ)が、「家」=「書物」にながれはじめる空気を、ほとんど決めてしまうのだと思われる。  『「アジア」の渚で』と名付けられることになった、この書物の初めてのページの汐の香、波のおとが、東京湾の臨海副都心、ブックフェアでの高銀さん、おそらくいまアジアでもっとも重みをもつ詩人の発声と微妙な呼吸から、その戸口をひらこうとは、おそらく編集者も予想をしなかった出来事であったろう。勿論、その会場での催し「朝鮮半島と『日本』の関係を捉え返す」というシンポジウムの片隅に坐っていたわたくしにも、また、自らの発声がどのような渦(あたらしい渦)をつくり、周辺の風をそこに巻き込むことになるかについて、おそらく、まったく、無意識であったろう高銀さんご自身にとっても、予測もされなかったことであったに違いない。貧しい想像力と乏しい知識しか持たぬ、一介の日本の詩人の耳目に、“驚くべき場面・・・・・・”が立ち上るのがみえた。急いで補足しておかなければならないのだが、その“驚くべき場面・・・・・・”は、そのときにはほとんど直観的に捉えられたものでしかなかったのだ。その入口は、瞬息、耳に入った、高銀さんの音声にあった。かつて、僧侶であられたこと、牢獄に度々・・・・・・ということは知識としてはあった。“韓国で、昔々モスメと呼ばれた娘が、ムスメとなって、海をわたってくる足音を想像することがありました・・・・・・”と高銀さんは、話し始められたのだった。
「アジア」の渚で
出版ニュース 8月上旬号
「書評」欄
〈二十五年くらい前から私は詩にピリオドを打たないことにしています〉〈一編の詩は他の詩に繋がっていくものじゃなければならないんだと考えました。その詩は次の詩の始まりになるのです〉(高銀)
〈高銀先生のお話を聞きながら、われわれ現代人のなかでも故郷は動いてますけれども、瞬間の故郷、宇宙方言みたいな瞬間の故郷というか瞬間の光の故郷というのか、そういうものも、少しづつ芽生えつつあるような気がします〉(吉増剛造)日本と韓国の間の時間・空間・民族を越えて交わされる二人の詩人の対談と往復書簡。
 軍事独裁体制下に投獄・拷問を受け、2000年の南北首脳会談では詩を朗読し、現代韓国を代表する詩人といわれる高銀と、現代日本における詩の運命を孤高に背負い、詩人の中の詩人といわれる吉増剛造。4年にわたる交流と対話の軌跡は二人の詩的コミュニケーションと詩的同志愛を育み、ことばの可能性を示す。
反時代的思索者 唐木順三とその周辺
8月号 書標
「書評」欄
 その才能を惜しまれながら京都大学哲学科を去り、田舎教師として日本の近代文学に沈潜する。敗戦直後兄事した三木清の獄死の報に接し、『三木清』『現代史への試み』を著し哲学への回帰を思わせながらも、戦後の近代化の大合唱のなかで、独り反転して中世への旅を歩み、無用者の系譜という観念に辿りつく。敗戦を境に百八十度その価値観を変えた昭和の日本にあって、唐木順三は終始「反時代的思索者」であった。
 それは、決して消極的な姿勢ではない。唐木は一貫してニヒリズムの乗り越え、即ち「近代の超克」を問い続けたのだ。
 唐木はまた、戦争を生き延びた“京都学派”の田辺元、下村寅太郎らの著作活動を支えた筑摩書房の創業者のひとりである。だが、編集者唐木順三は、生涯師として敬慕した田辺元に対しても、厳しい感想を残している。「ところで先生は果たして懺悔道の実践者であったのか。」
 そうした姿勢は、同じく「中央公論」の編集者として活躍した、本書の著者粕谷一希も共有している。「唐木さん」に対する敬愛の情を全編に漲らせながら、唐木の鴎外論への疑義を率直に表明し、唐木の教養主義批判に対して果敢に反批判を展開、晩年の物理学者批判を、「唐木さんの生き方としては逸脱」と言い切る。
 また、“京都学派”を中心に、多くの文人、学者の絢爛たるエピソードに、粕谷の筆は自由に踊る。読んでいてしばしば、「唐木順三はどこへ行ってしまったんだ?」と言いたくなるほどだ。  もちろん、このことに粕谷は自覚的である。本書は、編集者粕谷一希が唐木順三を焦点として見事に切り取った、昭和精神史の一幅の鳥瞰図なのである。
マーラー 交響曲のすべて
8・9月号 intoxicate
「読む茶の間」欄 【藤原聡氏】
 マゼールは、「自分はマーラーをあくまで“音楽”として演奏する」と述べた。音楽外的な諸要素が重大視されていることに対するある種のマニフェスト的発言でもあろうが、この待望のフローロスの訳書に目を通すならば、改めて「交響曲とは全存在を包括する存在でなくてはならない」と語ったこの作曲家の巨大な精神世界が立ち現れてくる。ところで、件の指揮者はこの本を読んだことがあるのだろうか?
作家の誕生
8/28 日本経済新聞
「Sunday Nikkeiα」欄 【池上俊一氏】
 昨今の大学やカルチャーセンターでは、小説家養成講座が開設され、書店では、文学賞を取るためのマニュアル本まで目にするようになった。日本に「作家」という憧憬すべき職業が存在し、社会的に認知されているからこそであろう。では「作家」は、いついかにして誕生したのだろうか。それをフランスについて本格的に検討してみたのが、本書である。
 十七世紀、つまり絶対王制が隆盛を極めた古典主義時代にこそ、文学の領域が文化の場の中で独立のものと看做され、「作家」が生まれたのだ、というのが著者の見解である。
 本書前半では、当時のフランスで生成しつつあった「文学場」についての精細な研究がなされている。文学場とは、固有の規則、論理、コードをもつ文学の活動領域のことだが、それを構成する要素として、アカデミーとそのネットワーク、両面性を抱えたクリエンテリズモ(有力者が影響力拡大のため、恩恵と引き替えに多くの者を配下に抱えること)とメセナ、そのメセナを制度化してゆく国家、著作権の確立、作家を公認する権利を持つ公衆の成立とその内部構成などが探査されている。
 後半では、このようにして形成された文学場において、作家たちがいかなる戦略のもとに成功を目指したのか、自律性と他律性、文学諸制度と文学外の権力および公衆、かけもちと段階的制度化 といったいくつかのファクターを変数にして、分類・評価している。
竹内浩三楽書き詩集 まんがのよろづや
8/25 東京新聞
「今週の逸冊」欄 【池田信夫氏】
 日本語は性格に発音しよう。白ければシロイと―は詩人竹内浩三の爽やかな語録のひとつ。  十歳の時、満洲事変、十六歳で廬溝橋事件が起き、日本は注ごっくとの全面戦争に突入。旧制中学を卒業した十八歳の年に第二次世界大戦が始まり、二十歳の時に真珠湾攻撃と、青春時代をすっぽりと戦争の暗雲に覆われてしまった竹内の風刺的言葉の意味を、正確に理解する若者は今、どれ位いるだろうか。彼が発音と書いて発言した勇気を。
日本中の国民が言論の自由を奪われ、黒を白といわなければ生きられなかった時代は、意外にも大正デモクラシーで民主主義を謳歌した後にやってきた。
「今、世の中はある方向にめまぐるしく進んでいる。我々はじっくり腰をおちつけねばならない。ごまかさず、妥協せず、自分の生き方を大切にせねばならぬ。みんなが自分を一番大切に生かすときは、今だと思う」
 竹内の言葉は今の私たちにそのまま通用する。
(中略)
 級友は「呼吸をするように詩が生れ画ができた」と書く。まるでモーツァルトのようではないか。そんな詩人の人間的魅力を詩とともに多くの人々に知って貰うために、彼が遺したマンガや楽書きを取り入れて色付けし、竹内浩三楽書き詩集とした。
 図らずも彼のマンガは、苛酷な運命の下でも、苦の中に薬を見いだし、ひたむきに人生の最後の最後まで前向きに生きようとした、若き詩人の光と影を浮き彫りにしたような気がする。
 竹内独特のユーモアやペーソスに笑っては泣き、泣いては笑い、涙で画用紙が濡れないように仕事をしたのは初めてであった。
曼荼羅の思想
8/21 河北新報ほか
「新刊抄」欄
 曼荼羅は密教の思想を具現化したものだ。数や力の論理が支配する21世紀の現代社会の中で、曼荼羅の思想を新しい共生思想として活用できないか。南方熊楠の残した曼荼羅論を手掛かりに、鶴見和子氏が密教学の第一人者の頼富本宏氏と対談する。
 それを受けて頼富氏も、密教思想の表現である従来の「閉じられた曼荼羅」から、現象世界の関係論を示す「開かれた曼荼羅」の可能性を語っていく。手探りながら、伝統を踏まえた上で、それを超えるものを創出しようという知的な試みは面白い。
竹内浩三楽書き詩集 まんがのよろづや
8/21 毎日新聞
「今週の本棚」欄 【中村桂子氏】
 本書は、竹内浩三の詩集に挿し絵をと依頼されたよしだみどりが、回覧雑誌のマンガを見て、それを生かそうと考え、色付けをし、詩と組み合わせて編んだものである。第一ページは、「賣幸福仁」。樹の下に麦わら帽を被って坐っているおじいさんの前にはクローバーが入った木箱が並び、女の子が買おうとしている。その脇には「十センだすと四つばのくろうばあが出るまでさがさしてくれる」。ほのぼのする。
 一方、「入営のことば」というページには「十月一日、ぼくは○○聯隊に入営します。(中略)ぼくの日の丸は、どんな風にも雨にもまけませぬ。ちぎれてとびちるまで、ぱたぱた鳴りましょう。(中略)死ぬるまで、ひたぶる、たたかって、きます。」とある下に、“或る首吊り”と自殺に失敗した絵がある。編者による組合せだが、ここからは、いつもワハハと笑い、周囲をも笑わせることによって明るく生きようとする気持と、時代の中でそれらしく生きようとする姿勢とが重なり合ったところに独特の作品が生まれたことが見えてくる。今、笑いへの関心は高い。けれどもそれは、時代ときちんと向き合ったうえでの笑いになっていないように思う。笑いは、最高の批評になるはずなのに、ただ下品に笑っているのではもったいない。
 ここで改めていくつかの詩を見てみよう。「ぼくがいくさに征ったなら 一体ぼくはなにするだろう てがらたてるかな(中略)なんにもできず 蝶をとったり 子供とあそんだり うっかりしていて戦死するかしら」(「ぼくもいくさに征くのだけれど」)。「戦死やあわれ 兵隊の死ぬるや あわれ 遠い他国で ひょんと死ぬるや だまって だれもいないところで ひょんと死ぬるや(中略)白い箱にて 故国をながめる(中略)がらがらどんどんと事務と常識が流れ 故国は発展にいそがしかった 女は 化粧にいそがしかった」(「骨のうたう」)。
 映画監督になりたかったのに、二十三歳で戦死してしまった著者だが、空の彼方でウワハハハと笑いながら、今をどう見ているだろう。
飛行の夢
ダカーポ 8/17号
「BOOKS面白本捜査線」欄 【露木まさひろ氏】
人間は〈空〉という未知の世界に対し、どんな欲望を抱いてきたのか。本書は熱気球から原爆投下までの飛行の歴史を追いながら、飛行機が人々の意識を変容させていく様子をダイナミックに描く。時間に対する価値観を変えた飛行技術の進歩、空中からの視点によって生まれた新たな芸術手法。そして、19世紀にはすでにあった〈都市の最も象徴的なタワーを、空中から攻撃する〉というイメージ・・・・・・。膨大な資料の細かな分析が圧巻。300点を超える写真や図版もうれしい一冊だ。
「アジア」の渚で
8/17 朝日新聞
「天声人語」欄
  日本の植民統治からの解放を韓国が祝う光復節の演説で、盧武鉉大統領は対日関係には言及しなかった。中国では反日活動が中止された。小泉首相は靖国参拝を見送り、アジア諸国への「痛切な反省とおわび」を談話で表明した。
 日中韓3国が、それぞれの事情を抱えて迎えた8・15だったが、ともかくも冷静さが見られた。問題は、首相や閣僚が談話の趣旨を体現できるかどうかだ。首脳や閣僚は互いに行き来して、対話を重ねてほしい。
 日韓のふたりの詩人が、対談や書簡で対話を4年続け、それが『「アジア」の渚で』(藤原書店)としてまとめられた。高銀(コウン)さんは、韓国の代表的詩人で、投獄・拷問を受けながら民主化運動に力を尽くした。00年の南北会談では金大中大統領に同行した。対する吉増剛造さんは、言葉へのいとおしさのこもる表現で、豊かな生命力を宿す詩を紡いできた。
 高さんは、東北アジアの公海上に浮かぶ船で、東北アジアの詩人たちが一緒に詩を詠む日のことを語る。「われらは自分たちだけのものである陸地ではなく、みんなのものである海の大きな魂を謳歌するはずです」
 吉増さんは「海を掬い尽せ」という印象的な一句を発する。掬い尽くせるはずのない海の、はかりしれない大きさへの畏れが感じられ、高さんの句と響き合う。
 小泉談話は、日本と中韓両国とを「一衣帯水の間」と述べた。一筋の帯のように狭い海や海峡を間にして近接した間柄、というのだが、最近は隔たる一方だった。海を、国と国、人と人とをつなぐ渚として見直してみたい。
サルトルの世紀
8/12 週刊読書人
「学術思想」欄 【永野潤氏】
 サルトルを礼賛する本書をベルナール・アンリ・レヴィが2000年に出版した時、フランスのメディアはそれを「一大事件」と報じた。なぜか?それは著者レヴィが「ヌーヴォー・フィロゾフ(新哲学派)」(68年5月革命世代から生まれ、スターリニズム的全体主義がマルクス主義そのものに根を持つとしたマルクス葬送派)の代表選手だったからである。そんな彼にとって、マルクス主義を「乗り越え不能」とまで持ち上げたサルトルは「宿敵」といってもいい存在だったはずだ。また、ロンゲにはだけたシャツでホスト風なイケメンを演出し、メディアに出まくる彼は、もともと何かと話題にことかかない人物である(ドゥルーズは彼を「思想的にはゼロ」の新哲学派の「興行主、音頭取り、ディスクジョッキー」とこき下ろした)。というわけでこの「一大事件」、いい例が思いつかないが「新庄剛志が巨人に移籍」というようなものだろうか?
 さて、サルトル「再生工場」たる本書の作戦はいかなるものなのだろうか。レヴィは、敬遠の球をヒットにした新庄ばりの、一見意表をついた作戦をとる。すなわち、レヴィは「実存主義はアンチ・ヒューマニズムである」と宣言するのである。しかし、サルトルは(かれが一躍有名人となった)1945年の講演で、逆に「実存主義はヒューマニズムである」と宣言したのではなかったのか?ところで、サルトルに関する通説というのがある。それはこうである。サルトルは「主体の哲学=人間主義の哲学」として出発し、知の巨人として戦後思想界に君臨したが、その後、構造主義、ポスト構造主義などの、反人間主義、反主体主義の哲学によって完膚無きまでに打たれまくり、炎上、再起不能に陥った・・・・・・。ところがレヴィは、そうした通説を完全に否定する。『嘔吐』、『存在と無』、『自我の超越』といった戦前のサルトルを読み直し、そこに、アルチュセール、ラカン、フーコー、ドゥルーズといった「68年の思想」にはるかに先駆けた反ヒューマニズム、反主体の思想を見いだしたレヴィは、ほとんど感嘆の声をあげながらそれを紹介する。さて、レヴィによると、「人間」の本性を想定し、それに向けて現実の人間たちを「よりよく」作り変えようとする着想、すなわちヒューマニズムこそが、収容所、大量虐殺に帰着する全体主義の根本にある。したがって、反ヒューマニズムとしてのサルトル哲学は「反全体主義のチャンピオン」でもあることになる。ただし、そうした反全体主義的サルトル、「よきサルトル」の他に「もう一人のサルトル」がいる、とレヴィは付け加える。捕虜収容所の中で「共同体」の思考に目ざめた時に生まれたこの「悪しきサルトル」が、ソ連や毛派を支持し『弁証法的理性批判』を書いた、というのが彼の見方である。
 サルトルを擁護するべく登板したレヴィの華麗な救援投手ぶりはなかなか痛快で、本書は長いが一気に読ませる魅力と勢いを持っている。
竹内浩三楽書き詩集
8/12・18 週刊文春
「心にしみた一冊」欄
戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
で始まるこの有名な詩に出会ったのは、ぼくが新人監督だった1970年代の終り。満洲で敗戦、難民のような引き揚げ体験、戦後の貧しい暮らしを経て一息ついたような時期、彼の美しくも哀しい詩はぼくの胸にしみるようだった。
 当時の大船撮影所長の三島さんは日記に登場する軍隊時代の上官で、浩三の思いでを得意げに話していたことを思い出す。
 最近では藤原書店から『竹内浩三全作品集 日本が見えない』が出版されている。
朝鮮母像
8/10 女性ニューズ
「ほん」欄
 冒頭に、2003年11月、ソウルの大学での「朝鮮のみなさまへ」という講演録がある。著者の長年の思いはここに集約されているが、本書には1958年から2004年までに書かれた朝鮮・韓国に触れての随筆27篇と、座談会「日本の中の朝鮮」(1969年)も収録されている。
 1923年生まれの著者は、沖縄戦で戦死した婚約者を天皇のために喜んで死ぬものと送り出した自分を今も許せず、日本が朝鮮に行なった事実をあげて、知らなかったではすまされない恥ずかしさを随所で訴えている。また、桓武天皇の母・高野新笠は出自が百済であることや、母という字を母屋のようにオモと読むのは、朝鮮語の母オモニと同源かという典拠も示し「日本は朝鮮民族の流れを引き継いでいる」と納得させる。
 座談会では何故日本人は朝鮮蔑視感が強いのかの由来が語られている。あたたかな肌のぬくみを感じさせるカバーの絵は、戦死した兄の恩師・赤松鱗作の「朝鮮母像」の原画だという。
7月
飛行の夢
7/31 北海道新聞ほか
「読書」欄 【永瀬唯氏】
 1783年、フランスのモンゴルフィエ兄弟が造った熱気球の初飛行から九十四年後の明治十年(1877年)五月、大日本帝国陸軍は日本最初の有人気球飛行に成功する。
 ただし、この空中飛行は、かなりきな臭いシロモノであった。時あたかも西南戦争のさなか。気球開発の目的はずばり軍事利用だった。
 本書には、以来、広島・長崎への原爆投下まで七十年余りの間に国内メディアが報じた空への夢と悪夢が三百点以上の図版や写真とともに明確に紹介されている。
 ライト兄弟の初飛行は1903年。早くも明治四十三年には陸軍の日野熊蔵大尉により空気より重い飛行機が日本の空を飛ぶ。
 驚くべきはこの現実の初飛行よりも七年も前に、英国の航空軍事SFが翻訳されていることだ。ダグラス・フォーセット著のこの小説「空中軍艦」に登場するアナーキストは究極の新兵器、空中軍艦で世界をじゅうりんする。日本版の表紙に描かれているのは、空爆により中途でへし折られるビッグ・ベンの時計塔だ。
 大正に入るや大流行となった模型飛行機は、十代になるやならずの稲垣足穂にとっては純粋な夢、天界といたる魔法の道具だった。しかし、第一次大戦を経た昭和四年(1929年)、法政大学航空研究会会長となった内田百けんにとっては、飛行機が帝国の威信をかけた最新兵器であることは自明の理であった。
 日本が軍備拡張の道を進むようになると、飛行機への夢は文字通りの悪夢と化す。紙と木でできた日本の家屋が飛行船や飛行機による爆撃を受けたらどうなるか? 軍部は、敵空軍恐るるに足らずと説き、同時に日本の大都市にはそもそも無理な不燃化、防空都市化を叫んだ。
 時代がくだるにつれ記述が駆け足になるのが惜しまれるが、四百ページに及ぶボリュームを考えれば無理からぬところだろう。図書館などで、技術面からみた通史本をさがし、あわせて読むのをお勧めする。
歴史学の野心
7/31 朝日新聞
「読書」欄 【青木昌彦氏】
 フランスのアカデミアにおいて、アナール派の歴史学者たちは際だった存在感を示す。本書はその学派の巨星ブローデルの没後10年たって編まれた雑誌論文、未発表ノート、講演などの集成の2巻目(全3冊の予定)だ。編者はブローデルの構想した「大きな歴史」は、「他のすべての社会科学の征服につながるにちがいない」と誇る。だが、ブローデルが本当に成し遂げたかったことは何だったのか。この巻はその構成からして、歴史学のあり方を問うブローデルの生涯にわたる思索の道筋を辿るのに、よい手引となる。
 第1部は、ブローデルが第2次大戦中ドイツ軍の捕虜収容所で行った講演の未発表ノートからなる。そのころ彼は大著『地中海』の第一稿を記憶にもとづいて書いていたが、この講演の中で一生の研究の指針となる歴史観と歴史学のプログラムを述べている。歴史学とは「出来事」の物語ではない。出来事とは飛び交う蛍の発光のように華々しいが、束の間のものである。その向こう側に周囲の景色全体が再構成されるべく控えている。ドイツ軍の新しい勝利は「出来事でしかない!」と叫ぶのがストレス解消であった収容所でそれは語られた。
 では背後の景色の実質は何か。それは地理学的事実(すなわち社会的なものと空間あるいは自然環境との間の相互関係)に包まれ、文化的、社会階層的、経済的、政治的な諸事実の「持続的」な構造の全体である。この全体〈社会〉をとらえるのが「大きな歴史」だ。この構造は長い時間の流れでみれば断絶することもあるが、変わらない要素があり、したがって過去と現在とはお互いに説明しあう関係にある。
 第2部はこうした立場から歴史学と経済学や社会学など他の社会科学との関係が議論される。なかでもゲームの理論から示唆を受けつつ、社会的現実から構造のモデルへ、そしてモデルから社会的現実へ、と辛抱強く航海を行い、そういうモデルを比較の材料として時間や空間の中を移動させつつ利用するならば、社会科学の共同研究を導くような有用な軸になるという。アナール派を超えた、その後の社会科学の発展を見通した卓見といえる。
(中略)
 日本と中国の間で歴史認識について激しい論争が起きている。それは小泉首相の靖国参拝という「出来事」に触発されてはいるが、東シナ海をまたぐ地理的空間における経済や情報のますます頻繁な交通が、文化や政治や経済の諸関係の新しい構造、「均衡」を模索しているからだろう。ブローデルの歴史観は、現在を考える上でも、大いなる示唆に富んでいる。
反時代的思索者
7/31 読売新聞
「本よみうり堂」欄 【橋本五郎氏】
 編集者として名伯楽の誉れ高い著者による唐木順三論である。「信州」「京大哲学科」「筑摩書房」をキーワードに、唐木と彼をめぐる群像、その生きた時代を描いているだけでない。著者自身の文学論、歴史哲学も披瀝、日本現代思想史研究の趣さえ漂わせている。
 文学者であり、思想家であり、編集者でもあった唐木順三とは、一体何者なのか。美しくもある次の文章からは、唐木に対する著者の満腔の思いが伝わってくる。
 〈職業としての哲学を捨てながら、終生、西田幾多郎を思慕し、田辺元を支え、西谷啓治や鈴木成高を愛し、深瀬基寛を酒友とした唐木順三は、筑摩書房の古田晃や臼井吉見との信義に生き、京大哲学の学生時代の旧友と恩師への信義に生涯忠実に生きた〉
 では、なぜ唐木を取り上げるのか。同時代の著作家、小林秀雄に比べ、「批評家としての鋭さ、豊かさは小林秀雄にあるとしても、思想家としての深さ、一貫性は唐木の方にあるのではないか」と思うからだ。 戦後の日本社会が近代化の大合唱を奏でていた時、唐木はひとり背を向け、封建遺制として徹底的に排撃された中世の探究に旅立った。それは反時代的行為ではあるが、「時代への批評性」こそが思想家の条件なのである。  「教養主義」を擁護し、京都学派を再評価しながら展開される“粕谷哲学”には味わい深いものがある。「人文的教養を失った人間は野蛮人にすぎない」「教養とは、人間性に基いたバランス感覚のある判断力を指す」。
 戦後の社会科学者たちはまだ十分、哲学的であった。しかし、「60年代以降、哲学を失った世代が実証的科学だけで社会の問題は解けると錯覚しはじめた」と、哲学的素養の大切さを説いてやまない。時代と対峙しながら思索することにおいて、いかに怠慢になっているかを思い知らされ、粛然とならざるを得ない。
サルトルの世紀
7/31 毎日新聞
「今週の本棚」欄 【出口康夫氏】
 ジャン・ポール・サルトル。その名は、ある世代にとって哲学者・知識人の代名詞であった。実存主義の主唱者。『嘔吐』の作家。数々の反戦・反植民地闘争へのアンガジュマン(積極的関与)。ボーボワールとの奇妙で感動的な関係。激動の時代とともにあった彼の生涯は、生前すでに一個の伝説であった。が、あたかもその呪縛から逃れようとするかのように、人々は急速に彼を忘れ去った。いや忘れたふりをしたのだ。
 そのサルトルの今年が生誕百年にあたる。その節目に、フランスで話題を呼んだレヴィの『サルトルの世紀』の邦訳が出た。八百ページを超す大著だが、そこは才人レヴィ、一気に読ませる。本書は退屈な年代記でも小難しい哲学書でもない。小説の文体で書かれた哲学的ノンフィクションとでも言おうか。
 本書を通じて「サルトルは誰だったのか」を問い直すことで、われわれは、彼が体現した20世紀とその延長線上にある現在に向き合うことになるだろう。
飛行の夢
7/24 毎日新聞
「今週の本棚」欄 【藤森照信氏】
 かくべつ飛行機好きというわけではないが、読み始めたら止まらず、一気に読んでしまった。文章も構成もよくできているとは言いがたいが、そうした欠点を乗り越えてとにかく記されている内容が面白い。チョコッチョコッと面白く、“トリビアの泉”向けの話ばかりなのである。(中略)  明日使えるトリビアを楽しみながらページをめくってゆくと、思わぬ拾いものがあった。昭和10年前後、日本の建築界では都市防空をどうするかの議論が始まり、ドイツの事例などが紹介されている。まだ日米開戦にはだいぶ間があり、どこからやられると想定していたのかが分からなかったが、どうも中国軍かららしいのである。「第一次上海事変(昭和七年)で日本軍が上海を空襲したことは、逆に東京や大阪などの大都市が、外国の飛行機に空襲される可能性があることを示唆していた。自ずから防空は、社会的な課題として意識されるようになる。」  実際、上海空襲の翌年、東京を中心に関東地方で大防空演習が開かれている。空襲警報が発令され、実戦さながらに焼夷弾や毒ガス弾が投下され、地上では灯火管制と高射砲発射が行われた。それから九年後、中国ではなくアメリカによって演習は現実となった。なお、図版と巻末の年譜が充実している。
サルトルの世紀
7/24 読売新聞
「書評」欄 【野崎歓氏】
 八百ページを越える大作だが、、熱っぽい語り口にあおられて、夢中で読みふけってしまう。何しろ登場人物が豪華だ。ニーチェ、ハイデガーからフーコー、レヴィナスまで。オールスター揃い踏みの大饗宴。いや、むしろ西欧的知性の徹底的な棚おろしというべきか。そのいっさいは、サルトルの問い直しと連動してのこと。なぜ我々はあれほどサルトルに心酔し、そして彼を忘れ去ったのか。青年期、『嘔吐』の衝撃をまともにっくらった著者が力を尽くして問う。
 偉大な先人たちの達成を見事に消化した上で「乗り越え」の難行を演じ切った、若きサルトルの勇姿がまず提示される。しかもその中核を貫く思想は、デリダらの現代思想にも通じる「反ヒューマニズム」だったというのが著者のトリッキーな主張だ。普遍的人間への信仰を斥けたからこそ、サルトルは絶対的自由の使徒としてまばゆく君臨し、第二次世界大戦後のせかいにあれほどの影響力を振るうことができた。
 ところが人も知るとおり、サルトルは強度のやぶにらみだった。右目に背く左目のごとく、彼の内にはもう一人の思想家が棲息していた。「人類愛」に燃え、共産主義による楽土の到来を確信する厄介な「ヒューマニスト」だ。共存不可能な二者を抱え込んだがゆえに巨人が辿ることになる屈辱と転落のドラマが、中盤以降、凄まじい迫力で活写される。スターリン主義や毛沢東主義の泥沼にはまり込み、おのれの思想や文学を抹殺することも辞さぬ晩年のサルトルは、「二十世紀という世紀そのものの冒険と失墜」を具現して悲壮だ。
 だが、「残骸」「ぼろきれ」となった偉人を著者はなお見放さない。最晩年のユダヤ思想への接近のうちに、さらなる出発に賭ける作家の魂を見出すのである。全巻の幕切れには爽やかな風が吹き通る。サルトル再読、二十世紀再考へと読者を強くうながす、瞠目すべき力作だ。
サルトルの世紀
7/24 朝日新聞
「書評」欄 【中条省平氏】
 実際、二十世紀はサルトルの時代だった。B=H・レヴィによれば、「サルトルとは、世紀を縦断し、世紀の中に呑み込まれるあらゆるやり方が一堂に会する場」だったからだ。
 1905年に生まれたサルトルは、小説『嘔吐』で「実存」という観念をうちだし、西欧哲学の長い歴史にあと戻りのきかない亀裂を入れた。第二次世界大戦後のパリでは、実存主義のチャンピオンとして、あらゆる文化領域に君臨し、その講演は観客の失神や暴動の場と化した。のちのロックのコンサートのように。
 サルトルの名声は世界的になり、彼は積極的にデモや政治活動に参加する。そう、参加(アンガージュマン)というフランス語が世界の若者の合言葉となった。そして、彼はマルクス主義を標榜し、革命の実現を信じて戦った。(中略)
 レヴィは、二人のサルトルがいた、という。若いサルトルとその後のサルトル。若いサルトルは、『嘔吐』や『存在と無』で、物の実存を探究し、人間中心主義の哲学を破壊した。つまり、1970年代以降の、構造主義と呼ばれる反人間主義的な哲学の潮流を創ったのは、サルトルなのだ。構造主義の流行の三十年も前に。
 レヴィの論証は圧倒的で、確かにサルトルが二十世紀哲学の転回点なのだと思えてくる。「実存は本質に先立つ」という彼の言葉とともに、知はポストモダンの時代に入っていたのだ。
サルトルの世紀
7/24 日本経済新聞
「Sunday Nikkei」欄 【西永良成氏】
 ジャン=ポール・サルトルは1905年に生まれ、80年に死んだ。だから今年は生誕百年、没後二十五年にあたり、フランスでは国立図書館で大々的なサルトル展が開かれているのを始め、各種の記念行事・出版も盛んで、さながらサルトル・ルネッサンスの観を呈している。とはいえ、このサルトル復興は時代が世紀の変わり目を迎えた五年前からの現象であり、そのきっかけをつくったのが本書、『サルトルの世紀』である。
 著者ベルナール=アンリ・レヴィは70年代後半フランスの言論界にマルクス主義とその革命神話に引導を渡す『人間の顔をした野蛮』を発表、「新哲学派」の旗手として脚光を浴び、たちまちフランスでもっとも有名かつ毀誉褒貶の激しい「メディア知識人」になった。彼は概してサルトルの活動・業績には否定的だった。しかし、その彼が大方の予期に反し、当時半ば忘れかけられていたサルトルをあえて取り上げ、二十世紀という時代の知的な諸問題を丸ごと体現・反映した人物としてその全体像を情熱的に蘇らせ、二十一世紀に生かすべき教訓と指針を見きわめようとした。きわめて内容豊かでじつに刺激的なこの大著は、著者自身の最高作であるばかりか、今後どこでも、サルトルを語るには不可欠の書物になるだろう。(後略)
環vol.15
7/17 環vol.15
「半歩遅れの読書術」欄【中村達也氏】
 とやかく言っても、経済成長なしには始まらない。そんな雰囲気が以前として根強い。失業問題の解決のためにも、財政赤字の縮小のためにも、はたまた高齢社会の財源確保のためにも、ともかく経済成長が欠かせない。もしそうでないと言うのなら、どんな対案があるのか。こんな具合に開き直られたとき、とっさに思い浮かぶのが、C・D・ラミス「時、金、そしてメトロノーム」(『環』藤原書店、2003年10月号)の中の一節である。
 東京の都心に雪が降ったある日のこと、ラミス氏が友人の言語学者と会話を交わした。ビルの窓から外を見ると、眼窩の公園に職場に向かう人たちの足跡が残っている。まるで定規で引かれたかのように真っ直ぐだ。ラミス氏は言う。雪国で見る野生動物の足跡は必ず曲がっている。ネズミかウサギがあのように真っ直ぐな足跡を残すのは、捕食者に追われているときだけだ、と。そこで言語学者が問う。だったらあの人達を追いかけているのは何だろう。経済成長の強迫観念、とラミス氏は言いたかったようだ。
飛行の夢
7/10 秋田さきがけ新聞ほか
「読書」欄
 すべての道具は人間の身体を拡大する「メディア」だと考えたマクルーハンにならえば、熱気球から飛行船、飛行機へと進化した「飛行する機械」類は、近代技術が生み出した最も強力なメディアの一つだったと言えよう。なにしろ時間あたりの移動距離をまさに飛躍的に増大させたのだから。しかし飛行機械は人間の物理的存在を高みに登らせ、遠くへ運んだだけではない。意識にも大きな変化をもたらした。技術史の記述では抜け落ちやすい、そうしたメンタルな部分を、著者は飛行経験を喜々として綴る文学、新たに獲得された高空からの視界の再現に挑戦した絵画など、豊富な資料を引きつつ描き出して行く。
 たとえばジュール・ベルヌの「五週間の風船旅行」は気球の操縦方法が確立される前に気球による世界旅行を描いて人気を博した。「こんなことが出来ればいい」という「飛行の夢」が新技術開発を促し、新しい技術が新しい世界観を導き、現実に働きかける。「外地」を次々に「日本」化できると信じさせ、戦前日本の拡大志向を下支えしていたのが、まさに飛行機によって実現された到達距離と速度だった事情を本書は描く。(中略)
 こうして飛行機がいかに私たちの意識を変容させつつ、科学技術と戦争の時代である「近代」を導いたかを本書は示す。分厚く、相手とするにはやや手ごわい労作だが、読めば確かな手応えを間違いなく感じるだろう。
サルトルの世紀
7/3 京都新聞
「読書」欄
 学芸総合誌「環」(藤原書店)は今秋、「サルトルの現代性」について特集を組む。同社はさらに、フランスの作家アンリ・レビが五年前に書いて二十万部以上も売れたという「サルトルの世紀」と、ボーボワールの元秘書による「世紀の恋人」の二点の評伝の翻訳本も出版する。
 同書店の藤原良雄社長は「サルトルは、日本思想界が貧しい今こそ、見直されるべき哲学者だ。実存主義では個が問われた。君たちはどうするのかと。二十一世紀は若い人たちがつくるのだということに気付いてほしい」と訴える。
歴史学の野心
7/4 毎日新聞
「今週の本棚」欄
 ブローデルがドイツの捕虜収容所で講演した「出来事」に関する原稿、未完の大作『フランスのアイデンティティ』第三部などを収める。
 歴史の「出来事」に対する彼の反発は、捕虜収容所での講演ですでに芽生えていた。ブラジル北東部の内陸で発光した蛍から「光の点」としての出来事をとらえる着想、捕虜たちがフランスの敗北は所詮「出来事」でしかないと自らを慰める逸話などは興味深い。
 愛国者ブローデルが生涯の終わりに祖国フランスの歴史に情熱を傾けていた謹直さを「未完のフランス史」からも受けとめることができる。「大きな歴史」や「深い歴史学」といった捕虜時代の表現は、後の全体史の構想として生かされたのだろう。
サルトルの世紀
7/4 東京新聞
「筆洗」欄
 実存主義思想で世界の若者を魅了し、「二十世紀最大の知識人」といわれたジャン=ポール・サルトルも、日本ではすっかり忘れられたが、生誕百年の今年、母国フランスで再評価の機運が高まっている。
 共産主義、毛沢東主義の同伴者とされ、共産圏の消滅をもって「サルトルは、煉獄にいる」とまでいわれたが、復権のきっかけをつくったのが、現代フランスを代表する思想家のベルナール=アンリ・レヴィの話題作『サルトルの世紀』。石崎晴己、澤田直氏らの監修で藤原書店から完訳が出た。
6月
中世とは何か
6/25 週刊ダイヤモンド
「今週の逸冊」欄【井上義朗氏】
 「中世」と聞くと、われわれはごく自然に「西洋」の中世をイメージする。日本の鎌倉時代や室町時代も「中世」には違いないが、西洋の中世とは明らかに印象が違う。現代人は西洋の中世にロマンを求めており、そこは魔法使いや怪物が闊歩するファンタジーの世界である。そういえば「指輪物語」でも「スターウォーズ」でも、正義の味方は皆、中世の騎士か托鉢僧の格好をしている。
 本当の「中世」はどうであったか。本書はそれが、物語よりもずっと魅力的な世界であったことを教えてくれる。著者J・ル=ゴフは、アナール派第三世代を代表する歴史家である。アナール派は、伝統的な政治史・経済史の枠を超え、普通の人びとの普通の暮らしぶりを、いきいきと再現する歴史学を唱えてきた。同じくアナール派のF・ブローデルのファンだという人も多いだろう。
 評者には、第三章「商人、銀行家、知識人」が特におもしろかった。中世とはじつは経済の時代であった。しかし周知のように、教会は当初、利子を禁じていた。その理由は、単に聖書が禁じていたから、ではなかった。
 「利子とは時間につけられた価格である」という、現代の経済学者が目を見張るような理解がまずあって、しかし時間は神の持ち物だから、利子を取ったらそれは神の物を横取りしたことになる、だから冒涜だというのである。
 では、利子はいつ頃許されるようになったか。著者はここに「煉獄」の誕生を重ねる。煉獄とは天国と地獄の中間にあって、天国行きと地獄行きを分ける場所である。商人やカネ貸しは、死後いったんここに入るとされた。つまり、カネ貸しイコール地獄行きではなくなったわけで、この煉獄という概念を中世が発明したことと、経済に対する認識の変化とが、じつは根底でつながっていた可能性を著者は示唆する。中世が、急に身近に思えてくる話である。
 本書はインタビュー集で予備知識などは必要ない。それでも次々繰り出される話題につられるうち、気がつくと中世の風景を眺めている。想像力をかき立ててくれる一書である。
「アジア」の渚で
6/19 東京・中日新聞
「読書欄」【四方田犬彦氏】
 日本と韓国を代表する二人の詩人の対話と、四年越しにわたる往復書簡をまとめた一冊である。吉増剛造は疾走する言語感覚と宇宙論的な想像力で、この四十年にわたって日本の現代詩の最先端で書き続けてきた。高銀は元僧侶。軍事政権下にある韓国で拷問と投獄の日々をすごし、そのなかで詩作を続けてきた。二人が偶然にもイタリアの国際シンポジウムの席で出会ったことが、本書の契機となった。
 吉増は高の詩を「いたみを入れる容器」と呼び、彼から受けた(時代に対して)眠らないでいることの教示に感謝している。高は吉増のことを「まるで自分自身を消してしまうような、そんな無心」と讃え、振り返って最近の自作は山頂と断崖ばかり歌いすぎていたのではないかと反省する。大きな破局の後に詩人は独白を余儀なくされる。それをいかに対話へと編み直していくかが、彼らに共通する問題意識である。
 二人の言語への接近の仕方は異なっている。吉増は韓日・日韓小辞典を片手に放浪を続け、未知の言語である韓国語の単語を、その音声を愛おしく撫でるかのように受け入れる。彼はそこから詩的想像力が立ち上がる瞬間を待ち望む。だが植民地下に日本語を学ばされた高にとって、日本語はいささかもフェティシズムの対象とはなりえない。彼が言語に求めているのは、「世界の傷」を治療するための力である。
 とはいうものの、詩こそが根源的に宇宙の無限を志向する言語であるという確信において、この二人は共通している。高が自作を「宇宙方言」と呼ぶとき、吉増はそれに共鳴する。
 先に「日本と韓国を代表する」と書いたが、実際のところ、この二人はけっして何かを代表する立場で発言しているわけではない。語っているのはどこまでも個人であり、その詩的直観と経験の知である。ゲーテのいう「親和力」の見本のような書簡集といえる。
飛行の夢
6/19 日本経済新聞
「Sunday Nikkeiα」欄【芳賀徹氏】
 この本の著者は相当の「調べ魔」らしい。1783年、フランスでモンゴルフィ兄弟が熱気球を掲げた年から、1945年の広島・長崎への原爆投下にいたるまで、人間をとらえてきた空中飛行の夢、とくに欧米を追いかける日本人の空への冒険と野望とその破滅の歴史を、内外資料の博捜によって叙述してゆく。それは空からの「鳥瞰」というよりは、まさに「しらみつぶし」だ。
 だが、この四百頁に退屈する暇はない。各章のエピソードの展開と、毎頁の脚注の三百余りの写真・図版が興味津々。日本人飛行史を切実な臨場感をもって知ることができる。
 たとえば、飛行機といえばまず思い出されるのは石川啄木の「1911・6・27・TOKYO」の作、「見よ、今日も、かの蒼空に/飛行機の高く飛べるを。」という一篇。たしかにフランス留学帰りの徳川好敏大尉とドイツ帰りの日野熊蔵大尉が、代々木練兵場で船来機による日本初の空中飛行に成功したのは、この詩の半年前、ライト兄弟の飛行機発明から七年後の、1910年12月19日のことだった。11年4月には所沢飛行場が竣工して公式の訓練が始められていたし、アメリカの飛行団による空中ショーが目黒競馬場に大観衆を集めたこともあった。
 だがそれらも、この詩で「給仕づとめの少年」が日曜日の東京の町なかで「今日も」とつぶやくほどひんぱんなことではなかったし、「蒼空に・・・高く」と見上げるほどの高度でもまだまだなかった。啄木の詩はむしろ「日本の 飛行機 新聞で飛び回り」と揶揄された当時のマスコミの飛行機騒ぎの記事や写真から紡ぎだされた、解放と自由への夢想だったのろう。
 どの章も興趣はつきない。だが衝撃的なのは巻頭写真版の翻訳未来小説『空中軍艦』(1896年)の表紙絵。アナーキストの空中船による爆撃で、ロンドンのビッグベンが、まさに105年後の世界貿易センタービルそのままに倒壊しかけている。もう一つはエピローグの小杉未醒「地球滅亡の後」の図。これはまるで原爆後の広島の一隅の景だ。
「夏空やつはもの共が夢の跡」
 これは私の読後感の一戯句。
「アジア」の渚で
6/9 毎日新聞夕刊 「詩歌の現在」欄【酒井佐忠氏】
 20世紀とは違う新たな枠組みの中で複雑化した悲劇が相次ぐ現在に、詩の言葉はどうあるべきか。また平準化されたグローバルな情報過剰な時代に、詩人は何をなすべきか。そんなことを考えさせる2冊の本に出合った。
 まず韓国の代表的詩人・高銀氏と吉増剛造氏の対話・往復書簡からなる『日韓詩人の対話 「アジア」の渚で』(藤原書店)だ。高氏は、1933年韓国全羅北道生まれ。朝鮮戦争時に虐殺を目撃して出家するがのちに還俗し、民主化運動に携わりながら小説・評論でも活躍する。沖縄から朝鮮半島へ、南の海の民俗風習の胎動に耳を澄ます、日本の詩人・吉増氏という格好の聞き手、語り手を得て、高氏は、稀有の体験と想像力に基づいた思考で、現在の詩の言葉の有り様に警鐘を鳴らす。
(中略)
 21世紀の暗闇を踏まえつつ詩人が提唱するのは「海への夢想」だ。近世や近代(あるいは現在)の陸中心主義による加害と被害の関係ではなく、「海の沿岸国家が開かれた存在として一つの交響楽のような関係を保つ」ことを高氏は夢想する。昨年韓国の東南部を襲った台風被害の中で、沖縄を含めた日本列島と朝鮮半島が一つの台風圏内にあることを再認識もした。
 対話者の吉増氏にしても精神の流動性では際立った存在だ。何十年来、南島をさまよい、そこで出会った人々や海の色から、日常的ではない実験的な詩の言葉を採取しつづけている。海への夢想に関しては、高氏と感覚を共有しているだろう。海への夢想から真の情愛で結ばれる東北アジアへ、さらに近代ではなく人間の原初が息づいていた古代へ。そして東北アジアの未来へ。2人の詩人の語りと書簡は決して夢物語を綴っている訳ではない。
 そして高氏が感受する時代の闇とは、安易なグローバリズムと西欧的なオリエンタリズム、アメリカによる世界化、さらに「東アジアの深刻な不和が日本をその震央として発生している」ことであるという。その闇の前に詩人は立ち尽くす。
「アジア」の渚で
6/7 熊本日日新聞
「読書」欄【小野由紀子氏】
 母国では抵抗詩人・金芝河氏とも並び称される高氏は、2000年 の南北首脳会談の際、金大中大統領に同行して詩を朗読した。同書には、その詩「大同江(デドンガン)のほとりで」も収められている。
〈分かたれた二つの民族が/一つの民族となれば/骨の髄まで一つの生となれば/私はこれ以上民族を歌うまい/これ以上民族を語るまい/そんなの全部忘れはてしなく世の中を/放浪しよう〉
 続けて〈その時までは/私(中略)どうしようもなく民族の記号だ〉とうたう。極めて政治的な響きを持つフレーズだが、「背景には二つの思いがある」と高氏は言う。
 「分断された民族を一つにしたいというのは、政治面だけでなく、民主化問題に携わってきた僕らの夢の結果でもあるということ。二つ目は、近代国民国家の意味を解体していくポストモダンの流れの中で、国そのものを失った時代を持つ朝鮮半島では、国家をまず完成させた上で『国家とは何か』を考えることもできるのではないかということです。
ゴッホはなぜゴッホになったか
6/3 週刊読書人
【篠原資明氏】
 四月に東京国立近代美術館でゴッホ展を見て、とてもいよい展覧会だと思った。その理由のひとつは、同時代の著名な画家たちの作品を差し挟みながら、むしろ淡々とゴッホの作品を見せているように思われたからだ。ほかの画家なら、何でもないことはずなのに、いざゴッホとなると、この淡々と見るということが、なかなかむずかしい。それは、例によって、あれこれとゴッホ神話とやらが、まつわりついてくるからだろう。どうして、そんなことになったのか。現代フランスの社会学者による本書は、その問題に鮮やかに答えてくれる好著といってよい。
 ゴッホ神話は、特異性がたどった道筋の結果として形成された。それが本書の答えだ。その道筋は、逸脱、刷新、和解、巡礼という風に四つの段階に分節されて、提示される。このような分節図式は、どこから来るのか。それは、遠く13世紀の聖者伝からくる。ヤコブス・デ・ウォラギネによる『黄金伝説』だ。
 特異なものは、まず規範から逸脱したものとして見られるが、単にはじき出されるだけに終わらず、創造的なものとして組みこまれるとき、それは刷新するものと見なされるようになる。このプロセスは、20世紀の記号論をとおして、すっかりおなじみのものとなった感がある。しかし、芸術に関して、このプロセスが顕在化するのは、著者によれば19世紀の後半、それもとりわけゴッホを介してだという。(後略)
5月
岡部伊都子作品選 玉ゆらめく
5/29 奈良新聞 「私の本棚」欄
 特定の形式をもたず、見聞・経験・感想を気のむくままに記したものが随筆である。さらに知識や見聞による発見が加わると重厚さが増す。
 岡部伊都子といえば随筆の第一人者であり、多くの人がその作品に触れ、ファンも多いことだろう。『玉ゆらめく』は、ゆらめくという言葉に、なにやらなまめかしいものを感じるが、内容は学問的知識ふんだんに、歴史や時代への著者の鋭い洞察が挿入され、硬派の随筆といえる。
 しゃぼん玉・飾り玉・玉の緒よ・竜の玉・風船玉・玉砕・勾玉・玉牙・アシカの玉のせ・玉樹・飴玉・玉依ひめと、十二の「玉」の話が、板前の包丁さばきを見るようにさまざまに料理されている。
 それぞれ「玉」がどのように料理されているか、読んでのお楽しみとは簡単には言えない。各章で含蓄のある言葉に出会い、あらためて、人は、その人自身でありさえすればよいという禅問答のような文章に接すると、すっかり考えさせられてしまう。
(中略)
 悲惨な女、子どもの死が、玉砕という表現で飾られたサイパンの死を綴った、石垣りん氏の「崖」と題する詩を載せ、百済王国の悲話と並列させている。この二つの事例に違和感はない。
 戦争は女、子どもなど、弱いものがまず犠牲になるという世界中の人間が知っている事実、その事実が「崖」の中のフレーズ〈崖はいつも女をまっさかさまにする〉に象徴されている。
 他国の古い歴史と、六十年前に起きた日本の悲劇を「玉砕」の中にまとめる著者の手腕、他の作品もこの傾向が強く、多くのことを学べる随筆集である。
 最後の佐高信氏の解説が絶品である。さしでがましいけれど読破されるよう希望します。
ゴッホはなぜゴッホになったか
5/20 読売新聞夕刊 「金曜コラム」欄
 この春の展覧会で多くの入場者を集めた代表格は、東京・竹橋の東京国立近代美術館「ゴッホ展」となりそうだ。22日閉幕するが、50万人前後に達する勢いだという。大阪、名古屋にも巡回するから、どこまで増えることか。毎年のごとくゴッホの展覧会が開かれてきたことを思うと、人気のほどに改めて驚かされる。
 そんな“ゴッホ神話”について考察した本が最近、邦訳された。ナタリー・エニック著『ゴッホはなぜゴッホになったか』(藤原書店)。ブルデューに学んだ仏の女性社会学者が、いまなお作品が高騰し、回顧展が人々を集めるメカニズムを冷静に分析している。
 著者は冒頭、不遇のうちに没したという見方を否定し、短期間しか作品を発表していない画家にしては好意的に評価されていたことを明らかにする。従来の規範からの逸脱を独創性のあかしとする近代美術の約束に従って、批評家たちはむしろ素早く認めていた。
 では、なぜ伝説化が進んだのか。主な理由を、著者はゴッホの生涯がキリスト教の聖人伝と重ね合わせるようにして語られたことに求める。禁欲、貧困、周囲の無理解、そして殉教。さらに単なる芸術家伝説の枠にとどまらず、過去の無理解が常に意識され、その罪障感をあがなうべく賛美が高まるというメカニズムが働いていると指摘する。
 市場価格も高騰し続けてきたわけだが、それは同時に「生前、ほとんど絵が売れなかった」ことと対比され、罪の意識を新たにさせる。芸術的価値は逆にますます称揚される。かくて今日、信奉者はゆかりの地や展覧会への巡礼を続けている――というのである。
中世とは何か
週刊ポスト 5/20号 「Book Wonderland」欄【村上陽一郎氏】
 中世史家の最高権威が、中世の意味と、それを追い求めつづけた自らの人生を語った。中世とは何かとはつまり、西洋とは、西洋文明とは何かであり、従って中世は西洋にしか存在せず、日本にはあろうはずもない。歴史を単なる歴史として評価するにとどまらず、現代の一粒一粒にまで映りこむものとして吟味する、知的啓蒙書。 「我が意を得たりと、それはもう一行一行にハァーと感心しながら呼んだ名著です。中世に関する常識的な誤解が見事に打ち砕かれていく。しかも話し言葉だから読みやすいと思いますよ」
ゴッホはなぜゴッホになったか
5/8 中國新聞 書評欄【山本和弘氏】
 生涯に制作された作品の時価総額が最も高い画家は誰だろうか。一方、生前最も貧乏だった画家は誰か。ゴッホは間違いなく、その両方に当てはまる画家の一人であろう。生前の不遇と死後の栄光、このとてつもない落差が、現代に生きる私たちに限りない夢とロマンをもたらす。
 無名の画家が名声を確立していく過程とは、果たしていかなるものか、それが本書の主題である。筆者は、社会学、美術史、精神分析などの方法を駆使し、多方面からゴッホ神話が構築されていく背景を探っていく。その中でも、とりわけ説得力を持つのが、ゴッホの死後すぐに美術批評家によるポジティブな評価が現れ、それが市場に波及し、やがて一般大衆の人気を集めていく過程を、画家についての刊行物の数や価格高騰の具体例、さらに展覧会の入場者数などの数量的データで明らかにしていく記述だ。
 また筆者が力点を置いているのが、芸術家を聖人化する大衆心理の分析であるが、この視点は、芸術という近代型神話の分析にとってはそれほど目新しいものではない。それよりも、十九世紀末の同時代人の冷たい視線を“負債”ととらえ、ほぼ百年かけ、その負債が弁済されていく、という経済学的推論にこそ、本書の一番の輝きがある。
 なぜなら、聖人による説明よりも財布による説明の方が、日本の美術館に殺到する中高年女性の行動をうまく説明してくれるからだ。もちおん、その負債は弁済のレベルをはるかに超え、「名声のインフレ」ともいうべき状態になっていることは、世界各地で開かれるゴッホ展での長蛇の列や聖地アルルへの巡礼者目当ての土産物店の出現などに象徴されている。
 ともあれ、何もかも画一化される現代社会において、ゴッホのような強烈な個性と自己を重ね合わせることによって、あらためて私たちは自分を取り戻す。これを、芸術家から私たちへの贈与、と呼んでよいだろう。本書はそんな私たちの姿をも映し出す。
わたしの名は紅
5/15 毎日新聞 「今週の本棚」欄【山内昌之氏】
 筋書きはそれほど複雑でない。ムラト三世治下の十六世紀末のオスマン帝国、「優美」とあだなされる有能な細密画師が何者かによって殺された。その謎を解くために、カラという画師と美貌の人妻シュキュレの込み入った男女関係や、嫉妬や羨望のまじった画師の職人肌の世界が描かれる。犯人を見つけるミステリーの構成は単純といってもよいが、驚嘆するのは著者の教養と歴史知識の広がりである。日本の読者は、小説を楽しみながら、サーサーン朝やソグド人から美術の伝統を継承したイランの細密画の伝統を学ぶこともできる。
 16世紀のサファヴィー朝の栄華は細密画の世界でも開花したが、写本工房はオスマン帝国においても繁栄をきわめた。このあたりをさりげなく知るのもこの本の魅力である。
(中略)
 パムクは、小説の謎解きを通して、君主の芸術的な嫉妬心が国の衰亡という政治の結果にどこかで結びついた可能性を示唆するかのようだ。
中世とは何か
5/1 毎日新聞 「今週の本棚」欄【村上陽一郎氏】
 ちょうど五十年前、と書いて自分でもいささかぎょっとすが、私が高校生として世界史を学んだとき、その教科書では、中世は「暗黒の」という形容詞付きで扱われていた。そして、ルネサンスは「近代の曙」だった。流石に今はそうした表記は見当たらなくなったが、一般の理解は、この五十年前の状況から劇的に変わったとは言い難い。古代、中世、近代という時代区分は依然健在だし、ルネサンスについての理解も同様である。どうやらヨーロッパでも事情は似たようなものらしい。
 皮肉にも「中世史」の専門家として知られる著者は、そうした概念を一つ一つ丹念に検討し、情熱を籠めて壊していく。インタヴュー形式をとったために、訳文も話し言葉が当てられ、親しみやすい表現ながら、胸のすくような鮮やかな知的作業が繰り広げられる。
 既成の概念としての「中世」は、476年西ローマ帝国の滅亡に始まり、イベリア半島における「国土回復運動」(レコンキスタ)の達成とコロンブスの新大陸の発見という出来事が重なった1492年に終わると定義される。そしてその後に続く「近代の曙」としてのルネサンスによって切り開かれる近代。
 もともと「ルネサンス」時代のペトラルカら(もちろん彼らは「ルネサンス」などという概念は持ち合わせていない)が、自分たちが迎えようとしている未来と、古代の間に横たわる時代という意味で使った「中間の時(時に複数形をとる)」とう言葉を、換骨奪胎してケラリウスが17世紀終わり近く、初めて「古代・中世・近代」という時代区分を表現する概念として使い始めて以降、この言葉は、一種の価値観を担うようになった。無論近代至上主義的な立場からの「否定的価値」として。今でも負の評価に伴って何気なく使われる「中世的」なる形容句。
 「ルネサンス」という概念もまた同じ文脈のなかで生まれた、と考えられる。フランスの研究者であるル=ゴフは、その語の創始者と言われる同国人のミシュレよりも、より大きな負の責任をブルクハルトに負わせる。「ブルクハルトは、歴史上初めて、今もわれわれを縛りつづけている時代区分を定着させました」という具合だ。「モダン」という言葉は、ヨーロッパ語のなかに古くから存在し、「今の時代の」という意味であったが、ブルクハルト以降、この言葉は「より良く、十全に、進歩に立っている」という価値を負わされることになった。「ブルクハルトの成功は大きな不幸だった」とさえ著者は言う。
 しかし、中世という時代区分を否定する立場に、中世史の専門家が立つ、とはどういうことになるのか。幾つかの著者の提案が示される。第一は「ヨーロッパの成立」。それは必然的にキリスト教であることと同義である。ル=ゴフ自身は宗教に距離を置くが、彼の「中世」は完全に「キリスト教」と同じものとして把握されている。「中世において人間は例外なく神と向き合っています」。第二は、カロリング以降、十二世紀、そして十五世紀以降という形で繰り返される複数の「ルネサンス」という提案。また銀行家や商業という点からの社会史的な理解も忘れない。科学史の立場から見れば、「科学者」の扱いに、近代市場主義の残渣があって、やや物足らなさを感じる場面もあるが、一般の読者にもお勧めできる「中世」についての最良の書物の一つだろう。
中世とは何か
5/1 産経新聞 「書店員のオススメ」欄【深谷保之氏】
 私は歴史にはノスタルジーを感じるので好きです。小説を読んだり映画を見るときには、その舞台となる時代背景に、いつも興味津々です。また私たちの世界や生活の中でおこるさまざまな出来事は、できる限り歴史的事実に近づけて考えるようにしています。ヨーロッパ中世には千年の広がりがあり、キリスト教世界そのものです。
 本書は、フランスの中世史家ジャック・ル=ゴフがその生涯や研究について、インタビューに答える形でまとめており読みやすく、注も詳細に説明されていてわかりやすいです。ヨーロッパ中世に興味のある方にはおすすめです。
中世とは何か
5/1 朝日新聞 「読書」欄【陣内秀信氏】
 「ルネッサンスはあなたの敵ですか」
 フランス中世史の最高権威、ジャック・ル=ゴフにちょっと意地悪な問いが向けられる。中世とルネッサンスの関係は、様々な論争が行われてきた西洋史の根本テーマだ。「安易な歴史をでっち上げる道具としてのルネッサンスならそうですね」と彼は答える。そして、輝くルネッサンス像を描いた美術・文明史家ブルクハルトをル=ゴフは、中世史家にとってはありがたくない人物だと素直に認める。こんな問答を通じ、自身が生涯研究し続けた中世の深い意味を肩肘張らずに率直に語ったのがこの本だ。従来の時代区分と中世観を根底から覆し、西洋史の核心に迫る内容をもつ。
 グローバリゼーションが世界を席巻するなか、ヨーロッパは独自の立場でその存在感を強めている。EUの統合を実現したヨーロッパの一体感は何処から来るのか。そこにキリスト教の存在がある。著者は、その母胎ができ上がった中世こそヨーロッパ成立の時期だと言う。
 そして、地中海的なギリシャ・ローマ文化とは一線を画し、東方教会、ユダヤ教、イスラム教などの他者と対立する自らの存在を自覚するなかからヨーロッパが生まれたと明快に論ずる。
 西洋近代文明の萌芽が中世に見いだせるという著者の話は、どれも興味深い。普通ルネッサンスの産物と見做される「人間主義」がその一つ。父なる神から子なるキリストへと神の概念の中心がシフトし、人間主義が芽生えたのが中世なのだ。
 今日につながる都市の発展を見せたのももちろん中世。そこから世俗的な社会の制度、文化がおおいに発達した。商業や商人=銀行家、大学、そして芸術も中世に誕生したという。利益をあげ、冨を蓄積すれば、キリスト教徒にとっての罪の意識もまた強まる。告白の制度が整い、「煉獄」という救済への別の道が発明されたのだ。
 ブローデルを継ぐアナール派第三世代のリーダーと言われるル=ゴフが私生活、風俗、心性や感性まで拡大されるその「新しい歴史」研究の極意をじかに語ってくれるのも本書の大きな魅力だ。
4月
ゴッホはなぜゴッホになったか
 東京新聞 「文化」欄【三浦篤氏】
 ゴッホを聞くと正気を失う人が多いのはなぜか。その特権的な栄光はどこに由来するのか。作品の異常なまでの高騰の理由は何か。最近私が翻訳したフランスのある社会学者の著作は、これらの疑問を次のように解明している(ナタリー・エニック『なぜゴッホはゴッホになったか 芸術の社会学的考察』藤原書店)。
 近代社会はかつて宗教が持っていた役割をとりわけ芸術に求める。聖なる英雄としての芸術家こそが、古の聖人にかわり、崇敬と賛美の対象となる。しかも、19世紀後半には伝統や規範ではなく、個性や独創性に価値をおく美術史の大転換が起こり、特異な芸術家が高く評価され始める。まさにゴッホこそ、近代社会が必要とする芸術家像にもっとも適していた、
 なぜならゴッホの人生には、絵画への献身、耳切り事件、狂気の発作、自殺と早世など、「聖人伝説」の形成に資する要素が目白押しだから。実際、生前無名だったゴッホの死後、その人生は社会の無理解を蒙った天才画家の劇的な生涯に再構築されてしまう。こうして、ゴッホは偉大なる単独者として、近代の世俗の聖者として社会に取り込まれていく。
 現代において、ゴッホ賛美は最高潮に達し、聖なる犠牲者へのわれわれの負債と贈与も頂点に達する。今日の異常なゴッホ崇拝を根底で支えるのは、「不幸な天才芸術家」への償いきれない罪障感だと、その著者は主張する。ゴッホの作品が恐るべき高値を付け、その回顧展に膨大な観客が巡礼し、聖遺物崇拝に近い感情がわき起こるのはそのためで、ゴッホの桁外れの人気と評価は、実はゴッホへの底知れぬ贖いと弔いの表れにほかならない。
 いささか大胆とも見える解釈だが、それなりに説得力はある。ゴッホの作品自体よりも、芸術家神話の方が優勢になる理由も理解できる。ここで告白すれば、決してゴッホ・フリークではないのに、私もまた画家終焉の地オーヴェル=シュル=オワーズで追悼の気持ちに駆られ、墓前で手を合わせたことがある。「神話」の力はかくも強い。いやそれでも、ゴッホと冷静に向き合い、その絵をじっくり見つめ直すために、私はもう一度展覧会に足を運ぶつもりだ。人々の大波と熱病のような空気をかき分けながら。
4/23 福島民報ほか 「読書」欄【久間十義氏】
〈ひとりで寝るときにゃよ ひざっ小僧が寒かろ〉と、元祖東大生歌手・加藤登紀子が「ひとり寝の子守唄」を歌ったのは、学生運動が日本中を席巻した1960年代の末。拘置所の恋人を思って作ったといわれた噂を裏付けるように、その後、彼女は獄中にあった元全学連委員長・藤本敏夫と結婚。夫の下獄中に長女を出産した。
 すでに三十年以上の歳月がたったいま、当時の二人にまつわる記憶を潤色せずに述べるのは難しい。しかし、どんな時代にも流行の生き様や、その時代に選ばれた人間の輝きというものがあって、この人気歌手と革命家のカップル誕生はその意味でたしかに、一時期を象徴するものだった。
 時は移り、様変わりした現実から、いま私たちは当時の気分や雰囲気を忘れて、それぞれの都合にあわせた記憶を弄ぶようになった。そんな折も折りの二人の獄中書簡の上梓である。本書を読むことは「時の玉手箱」を開けるに等しい。
 さて、おそるおそる開けた箱の中身は、案の定時代限定的な過去の情念の堆積である。刑務所での読書の果てに行き着いた男の言葉を、現在の視点で裁断することはできない。革命家とは格好のいい者、見えを切り、人に夢を見させる人種。行きがかり上、大言壮語せねばならない男に寄り添い、尽くしながら、静かに成長してゆく女が書簡の中にいる。
 かくして「六月からは、藤本登紀子の名前で、お手紙ください」という手紙で始まるそれは、長女・美亜子の誕生、歌手への復帰、陶芸や俳句への熱中、中南米への旅、農業などをめぐって対話を重ねながら、夫婦として生きる実感を素直に、力強く歌い始める。
 女は男を愛し男は女を愛した。藤本敏夫が逝って三年。「これまで、ほとんどいつも、革命家は死にました」を加藤登紀子はいみじくも書簡に記したが、若き男はやせ我慢とも見まごう夢を語った。いい男は早く逝く。
ゴッホはなぜゴッホになったか
4/24 日経新聞 「Sunday Nikkeiα」欄【馬渕明子氏】
 版画家棟方志功が「わだばゴッホになる!」と叫んだとき、彼はどんなゴッホをイメージしていたのだろう。芸術に生涯をささげ不幸と孤独に耐え、情念をカンヴァスにぶつけ、そしてそのため狂い、耳を切り落とし自殺に追い込まれた画家、といったところだろうか。ゴッホについて、今日まであらゆることが書かれ語られ映像化されてきた。その結果、ゴッホ像というものがたしかに形成されている。この本の著者は「なぜゴッホなのか、いつどのようにそうなったのか、それにはどういう意味があるか」を詳細に検証している。
 19世紀以来、芸術家は特異な存在として強調されてきた。なかでもゴッホ伝はとりわけ聖人伝の構造と重なる、と著者は興味深い指摘をする。社会が見捨て自殺に追い込んだ天才。それに対して後世は彼を聖人のように祭り上げ、作品を法外な価格で取引し、展覧会で眺め、彼のいた場所への巡礼という有難い経験をする。それは生前に正しく彼を扱わなかったことに対する集団的償いの行為だ、と著者は言う。このようにエニックの分析は歯車のように入り組んだ礼賛のシステムを、さまざまな学問的アプローチを駆使して精緻に解析してみせる。
 ゴッホ像はたしかに特異な形成のされ方をした。しかしそれは彼だけの問題ではない。ここでゴッホを分析したのは、彼以降、新たなパラダイムが生まれた例証となるからであり、また近代における芸術の役割を示唆するものでもあるからだ。著者の分析は、今日のダイアナ妃であれ、イチローであれ、ペ・ヨンジュンであれ、人から崇拝される、ということがどのように作り上げられたものであるか、そのシステムを解く鍵を提供する。しかしそればかりでなく、亡くなったばかりのヨハネ・パウロ二世を聖人に列しようという声があがっていることからも、そうした宗教的存在を人々が望んでいるように見える。著者がことされに芸術と宗教と結びつけて論じたのは、たんなる崇拝の構造だけでなく、宗教がかつての力を失った近代において、芸術がその代わりになったことを示唆しているのだろうか。
4/24 奈良新聞
1972年、東大生歌手として注目を集めていた加藤登紀子は、学生運動のリーダーとして収監された藤本敏夫と獄中結婚した。長女を身ごもっていたのがきっかけだった。本書は若かりしころの藤本の遺稿と、二年半にわたって交わされた獄中往復書簡百四十一通を収録したものである。
 信書の発信を刑務所当局によって制限されていた藤本の書簡に比べて、登紀子の手紙が圧倒的に多く文章も長い。したがって登紀子の身辺雑記風の報告が延々と続く。その中に子どもを産み育てていくことの喜びと驚き、歌手として復帰し自由奔放に生きようとする姿が全面展開されている。これに比べると藤本の書簡はそっけないが、後に農業に社会変革の道を見いだしていく思想的変遷が的確な言葉でつづられている。
 獄中書簡というと暗くて湿っぽいイメージがあるが、どことなく明るいタッチなのが特色だ。二人ともすでに二十歳代後半の自己を確立した年齢になっていたこと、かたや芸能界、かたや学生運動で一目置かれていたキャラクターの故であろうか。いずれにしても、三十年の歳月を経て明らかにされた二人の愛情の交歓は、読む人それぞれの立場で感慨ひとしおといったところであろう。
中世とは何か
4/24 読売新聞 「本よみうり堂」欄【神崎繁氏】
 「中世」といえば、やはり依然として「暗黒の」とか「封建的な」といった形容詞とともに思い描かれるか、さもなければワーグナーから最近の『ロード・オブ・ザ・リング』に至るまで連綿と続く聖遺物探索のスペクタクルを連想するかの、何れかであろう。
 だが、著者にとって「中世」とは不断の「再生」の連続である。8世紀末のカール大帝(シャルルマーニュ)の「カロリング朝ルネッサンス」から、『アベラールとエロイーズ』に代表される「12世紀ルネッサンス」を経て、15世紀の本来のルネッサンスまで、著者の見方では、すべて中世だということになる。そうした、連続性を断ち切ったのは、この最後のルネッサンスを特別視して、それ以前を暗黒時代として際立たせた芸術史家ブルックハルトだという。
 この本をちょうど読み終わるころ、新しい法王が誕生した。システィナ礼拝堂での新法王選出の様子を見守っていたはずのミケランジェロの天井画が、最近の修復によって、以前に見たのとはまるで違うあざやかな色合いでテレビに映し出されていたが、それはまるで著者の強調する絶えず再生する中世を象徴しているかのように見えた。
 従来の「封建主義的中世像」では土地の管理が問題だったが、著者の描く中世像では、(「天国」と「地獄」の中間の)「煉獄」や、復活祭など日常生活に組み込まれた暦を通した、空間と時間、そして想像と記憶の管理が問題なのである。この「アナール派」の代表的歴史家は、そのことを平易に解き明かす。
 聖遺物の獲得が金融取引とあいまって、中世の王権や都市の権力の源泉となったという指摘など、宗教学を専攻されたというホリエモン氏にも、中世の再来がささやかれる今、是非学生時代に戻って読んで欲しい一冊。
中世とは何か
4/17 日本経済新聞 「Sunday Nikkeiα」欄
 本書の原題《A LA RECHERCHE DU MOYEN AGE》の直訳は「中世を探し求めて」。仏中世史研究の第一人者で歴史人類学の分野を開拓した著者が、インタビューに答える形で自らの研究を振り返った。その最大の成果は西洋中世をギリシャ、ローマの古典古代とルネサンス期に挟まれた暗黒の中間期ではなく、独自の価値体系を生み出した「文明」として評価した点にある。
 西洋中世といえば騎士道物語のロマンと異端弾圧に象徴される暴力や無知の同居するイメージが抜けない。それに対して本書は、商人、銀行家、知識人が中世に階層として生まれたことに注目する。それが社会の土台だったキリスト教との対立や融和を通じて存在感を増していく様を浮き彫りにした。13世紀に義務となった聖職者への罪の告白は、自分の心を見つめることを習慣化し、後の心理学や精神分析の誕生につながった、という指摘も興味深い。
 著者は西洋中世を文明としてとらえる意義を「未来へ飛躍するためのばね」と説く。文明の興亡を明らかにし、欧州の将来をうらなう「参照基準」にしようという意図だ。もちろん文明には光と影がある。中世がユダヤ人虐殺など「迫害の構造」を生み出したことを「苦い教訓」として記憶すべきだという指摘も忘れない。西欧歴史学を革新した仏アナール派。その第3世代の歴史観を平易に説いた書といえる。
ゴッホはなぜゴッホになったか
4/17 信濃毎日新聞 「新刊」欄
 不遇の天才、周囲の無理解、狂気、悲劇的な死―。日本でも欧米でも絶大な人気を誇るゴッホの人生は、絵の色と同様の強烈なイメージで彩られている。無名で死んだ画家は、いかに“神話”の主になっていったか。
 フランスの芸術社会学者の著者は、評論や新聞記事、伝記などゴッホをめぐる言説の変遷を綿密に分析。死後早い段階で批評家に受容されていたのを見いだす。決して遅い評価ではなかった。
 だがゴッホ評は、年を追うにつれ、作品論と人物論がないまぜになる。貧窮を超えて美を求め、自殺で突如終わった人生は殉教者に重ね合わされ、宗教心に満ちた書簡が神格化を加速した。
 結論は、現代のゴッホ崇拝を偉大な芸術の犠牲者への贖罪意識の表れとする。面白い仮説だが、非キリスト教の立場ではやや分かりにくい。だが、たとえば「夭折の作家」と聞いただけでわたしたちがしばしば、作品を別の尺度で評価してしまうのを考えたとき、その最たる例を突き詰めた本書は興味深い。
世界で一番美しい愛の歴史
4/10 京都新聞 「ブック・サイト」欄【与那原恵氏】
 J・ル=ゴフら著、小倉孝誠ら訳「世界で一番美しい愛の歴史」は、かつて西洋において、人々はどのように愛し合ってきたのかを史料や言説から読み解いてゆく。  先史時代、クロマニョン人の情熱から、禁欲的な夫婦が現れたローマ時代、ルソーが女性を性の罪悪感から解放したフランス革命。そして現在へ。  愛の歴史はつづく。
聖地アッシジの対話
4/7 東京新聞夕刊 「今週の本棚」欄
 洋の東西を隔てながら、12世紀末〜13世紀のほぼ同時代、ともに夢の啓示を受け、個人的な肉親よりもそれを超えた存在と結びつくことを欲し、各宗教の伝統の中で自分の生き方を貫き、自然と平和を愛した二人の宗教者がいた。彼らの生き方が示す、宗教を超えた平和への道とは何か。イタリアの聖地アッシジで実現した、文化庁長官と日本をよく知るカトリック大司教の対話。
DVD老年礼賛
4/4 朝日新聞夕刊 「窓」欄
 もしも、座談や対談の様子を見ることができたら、人物が身近になって、もっと著作の理解が深まったのではないか。
 といったことを考えたのは、思想家の鶴見俊輔さんと随筆家の岡部伊都子さんの対談を収録したDVD「老年礼賛」を見終わった時だった。
 藤原書店が昨秋からつくり始めた映像ライブラリーの最新作。それぞれ、数多くの名著を送り出したお二人に、これまで残念ながら取材する機会がなかった。いわば初対面だ。
 久々に「いい顔」を見た、と思った。毎日、ニュースに登場する、欲にまみれた面々と全く異なった相貌。病気や戦争に苦しみながらも、敗戦後の日本が直面するさまざまな課題を、日常から思索し、問い続けたお二人の深さが映し出される。
 鶴見さんが病気について「病歴というのは学歴にまさる力をもつと思うんです」と語り、その理由を「自己対話という積み重ねが加わるでしょう」と説明する声の温かさ。岡部さんが婚約者の戦死をまるで昨日のことのように話す、はんなりした京都弁。いくつもの映像と声が心に刻まれた。
 だれもが好印象を残せるとは限らない。よく見せよう、聞かせようと下心のある人のは見たくない。
DVD老年礼賛
4/1 毎日新聞 文化欄
「病歴というのは学歴にまさる力をもつと思うんです」と哲学者の鶴見俊輔さんが語れば、随筆家の岡部伊都子さんは、戦争に反対していた婚約者を戦場に送り出した慙愧の思いを「二人で逃げたらよかった」と話す。80歳を超えた二人の対話が臨場感たっぷりに楽しめるDVD『老年礼賛 鶴見俊輔・岡部伊都子の対話』が発売された。  対話は2時間。話題は戦争体験から、思い出の人々、在日朝鮮人による日本語文学の魅力、良寛の生き方、老境の感慨まで多岐にわたっている。そして、ラジオのすばらしさ、、韓国の詩人・高銀さんのこと、大勢の人が海を見ていた終戦の日の光景などが話題にされる。手ぶり身ぶりを交え、難問を投げかけられると、しばらく沈黙が続く。二人の表情も豊かで、映像ならではのライブ感覚だ。 (中略)  最後は「老年の自由」で意見が一致する。死ぬのが怖くなくなり、生と死がはっきりと分かれるのではなく、地続きのような感覚になる。それがとても解放感をもたらすのだという。
3月
「作品」として読む古事記講義
3/20 奈良新聞
古事記に登場する神話は従来、個々の話に分解して、イナバシロウサギやスサノヲの物語のように一つ一つの神話の解釈をすることが主流であった。本書は古事記という「作品」の中で、スサノヲやオホクニヌシがどういう機能・役割を果たしているかを考える作品論である。
 主役であるべき天照大神(アマテラス)よりも、脇役のスサノヲ、オホクニヌシの方に多くの記述があるのはなぜか。これが古事記の特色の一つである。そのために、古事記にはいくつかの工夫がなされているという。古事記全体を視野に入れて部分を読むことで、これら工夫の解明にもつながるというのが著者の立場。
 「古事記とは何か」で始まる一時限目、二時限目は既刊本の全集をテキストに本文を解説、最後に神武天皇が誕生する七時限目まで、授業の形式で論を進める。それぞれの章に学生と教師のやりとりによる注釈コメントが付いているので、著者の狙いがよく分かる。
 古事記による歴史研究ではなく、国文学者が古事記そのものの面白さを味わい読み解くために仕立て上げた好テキストといえよう。
資本主義vs資本主義
週刊エコノミスト 3/8号 「Book Review」欄【植村博恭氏】
 まず、序説で「資本主義はどこへ行く」と問うたのち、経済システムは多様な調整から成り立ち、「市場」はそのうちの一つでしかないので、我々はあらためて多様な「資本主義」を語る意義があると強調している。続く第1章では、資本主義は市場万能なシステムではなく様々な制度に支えられており、制度、組織、ルーティンなどを重視する制度派的な研究が重要であると論じている。
 第2章では多様な資本主義を分析する理論的観点を提示しており、特に自らとD・ソスキスたちの「資本主義の多様性アプローチ」とを比較検討しつつ、「制度補完性」などの概念を発展させている。第3章ではP・ブルデューの「界」とハビトゥスの理論を解読することで方法論的個人主義と方法論的全体主義を超える独自の観点を打ち出す。そして第4章では「制度変化」を正面から扱い、制度変換、ハイブリッド化、諸制度の累積、制度の階層性など制度変化のパターンを詳しく説明している。
 では、本書のメッセージをどう受けとめるべきか。まずレギュラシオン理論自体でいえば、「制度変化」を正面切って分析している点が新しい。従来、成長体制の異時比較分析の性格が強かったが、本書では、制度の生成や変化の多様性・異質性が成長に生命力を与えるという観点を示している。ここに「制度と進化の経済学」の成果を吸収したレギュラシオン理論の新しい姿をみることができる。(後略)
岡部伊都子作品選 美と巡礼
3/2 読売新聞夕刊 「文化」欄
 第1巻「古都ひとり」は12章から成り、それぞれ「呪」「虚」「艶」「彩」など漢字1字を表題にして仏像や着物、陶器に注ぐ細やかなまなざし、心のひだ、思考の跡を丹念につづった。
 「虚」の章では京都南座の顔見世興行で鑑賞した「菅原伝授手習鑑」を題材に、主君のために我が子を犠牲にする親の悲劇が戦前と戦後でいかに異なって見えるかを書いた。「闇」の章ではあだし野・念仏寺の石仏たちを前に、最も深い闇を感じたという空襲の日々を思う。美しいものへの賛嘆に人間の尊厳を汚すものへの憤りが結びつく。そんな岡部さんの感受性をはぐくんだのは何だったのか。
 「文章を書くのは子どものころから好きでした。女学校2年で肺結核と診断され、毎日、病床で本を読んでいました。苦しい立場の人のことが目に付き、こんな目に遭ってる人がいる、もし私がこの人やったらどうしようと、思い付いたことを枕元にノートを置いて書き留めていました」
(中略)
 結婚、離婚を経て54年からラジオで放送される「400字の言葉」の原稿を4年間執筆、随筆家に転身した。炭坑労働者の実態をルポした上野英信の「追われゆく坑夫たち」を読んで福岡・筑豊炭坑を訪れ、香川県のハンセン病療養所では差別の現状に心打たれた。婚約者が戦死した沖縄で沖縄戦の悲惨さと基地の町の現実に直面した。
 「人に読んでもらう文章を書こうとすると、ものの見方が広く深くなる。仕事を通じて現実を知り、その背後の歴史に目を向けるようになったんです。そんな方向性を私に与えてくれたのが婚約者の言葉でした。
 戦争の世紀と言われた20世紀が終わっても、世界にはなお、テロや戦争が絶えない。「この世界に次の瞬間、何が起こるか分からへん」とますます危機感を強める。「戦争を体験したものは、戦争はあかんと言い続けずにはおられないのです」
 小さく病弱な体から発する言葉には強靭な力が秘められていた。
2月
まごころ
週刊金曜日 2/25号 「きんようぶんか読書」欄
 共に八十を越えた哲学者・鶴見俊輔、随筆家・岡部伊都子両氏による対話集。「戦争をしてはいけない」「人を差別してはいけない」――こんな当たり前のことが当たり前でなくなってきている今、人生の大先輩からの「まごころ」が現代社会を生きる私たちへの忠告となって胸に響く。
沖縄・1930年代前後の研究
2/19 沖縄タイムス 「読書」欄【大城肇氏】
 1930年代は、世界的には大恐慌の嵐が吹きまくり、ファシズムの台頭も手伝って、ブロック経済から戦時経済へ突入した時期であり、沖縄では昭和恐慌に凶作なども加わって、ソテツ地獄に代表される社会経済的に混迷の続いた時代である。
 本書は、このような苦悩の30年代を中心とした、沖縄経済、とりわけサトウキビ中心の農業と糖業の展開過程に焦点をおいた社会経済史の研究書である。著者の信念は、「沖縄の経済を論ずるものは砂糖を知らねばならぬ」という点にあり、農業と糖業を農家生活者の観点からとらえている。豊富なデータと行政文書等の分析・検討を通して、沖縄社会経済の30年代前後の困窮期を穴埋めしている点が、本書の特徴である。
 本書は、七章からなるが、内容的には第二次世界大戦直前までの戦前期の沖縄経済(第一―三章)と戦時統制経済(第四―七章)の二つに分けられる。全体的には、市場経済と統制経済のはざまで困窮化していく農家に分析のメスを当てている。図表や注、索引などから、著者の几帳面な性格もうかがわれる。
 沖縄経済の生産構造、土地の所有構造、農家労働力、農業・製造業の生産費、移輸出入構造、ソテツ地獄の実態、戦時統制経済の実相と破綻などの分析を通して、いくつかの興味ある論点が明らかになっている。
(中略)
 サトウキビと砂糖という貴重な資源を持っていながら、国策や資本家の戦略に飲み込まれ、資本蓄積ができなかった30年代前後の沖縄経済。戦後のいじつな経済構造の遠因がそこにあることを教えてくれる研究書である。
日露戦争の世界史
2/13 東京新聞 「この人の本」欄【大日方公男氏】
 今年は日露戦争終結百年の年。この戦争は日本とロシアが朝鮮半島や旧満州での覇権を争ったのだが、本書では、それを二国間の戦争ではなく中国や朝鮮半島を舞台に、米・英・仏・独など各国の政治的駆け引きが複雑に絡み合った〈世界戦争〉だったと崔文衝さんはとらえる。後の二つの大戦のように世界規模の総力戦ではないが、植民地の拡大をめざす帝国主義列強によって推進された戦争であるというのだ。
 列強のアジア分割競争から日本の韓国併合までの経緯を、四半世紀を費やして多くの史料を博捜し、まとめた。本格的な研究書だが、時間の経過にそった叙述のなかに、小村寿太郎やルーズベルトといった外交手腕を発揮した人物の個性が光り、歴史小説を読むようなサスペンスも味わえる。
 「日本は巧みな外交の綱引きで列強の圧力を制御し、日露戦争を戦い勝利した。しかし、見事な手綱さばきでも、どんな大義名分をつけようとも、帝国主義は徹頭徹尾、自国の利益のみを拡大する政治です。韓国の運命は日露戦争に左右され、韓国人は自らの決定権を持たなかった。だからこそ韓国人も日本人も、国際史の視座で冷静に議論を組み立てねばなりません」
 流暢な日本語で話す。韓国人たる思いを語ることに禁欲的で、あくまで開かれた客観的な記述に終始した学者の信念に敬服した。
まごころ
1/30 河北新報 ほか 「新刊抄」欄
 「自分には学歴がなくて、病歴がある」と言う随筆家。「病歴というのは学歴に勝る力を持つと思うんです。それは、じっと寝てると、自分の中の自分との対話ができてくるわけ・・・それが自分の精神をつくってるんです」と指摘する哲学者。
 生身の「生」の実感から、それぞれの思考を紡ぎ出してきた二人。旧友交歓の趣ながら、深く時代を語り合う。それでも最後は「耄碌(もうろく)も一つの解放でっせ」「それはそうです(笑)。気分が明るくなってきたんです、耄碌で」。そのほのぼのとした感じが楽しい。
環vol.20
2/12 信濃毎日新聞 「斜面」欄
 脳出血で倒れて九年、自ら「回生」と称する再起の道を切り開いてきた。八十六歳の社会学者、鶴見和子さんである。最終講演「斃(たお)れてのち元(はじ)まる――命耀(かがや)くとき」に感銘を受けた。
 昨年十月、京都市で約千人の聴衆に語りかけた、いわば“遺言”といっていい。その記録が、藤原書店の発行する学芸総合誌『環』2005年冬の冒頭を飾っている。車いすで登壇し、まず力を込めたのが救急病院のベッドで見た夢の話であった。短歌があふれ出てきたのだ。  若いころやめたはずの歌が、言葉となって夢に現れ、一生懸命に覚えさせる。だから短歌をつえとし、生死の境をこえることができた――と、鶴見さんは語っている。〈半世紀死火山となりしを轟(とどろ)きて煙くゆらす歌の火の山〉。付き添いにやってきた妹に大声で書きとめさせている。
 〈最後にこの世に遺(のこ)すことばを、二つだけ申し上げたい〉。こう述べて挙げた一つが、戦争放棄を掲げた憲法九条だ。もう一つは、古代インドで生まれ日本に伝えられた曼荼羅(まんだら)の知恵である。同じ空間に複数のものが存在する、異なるもの同士が共に生きる道でもある。
 気に入らない相手だからといって排除するのではない。違う意見、思想であっても、話し合い、補い合い、助け合う・・・。そう説くのだった。こんな一首も途中で織り込んでいる。〈身の中(うち)に死者と生者が共に棲(す)みささやきかわす魂ひそめきく〉
わたしの名は紅
本の雑誌 2月号 「新刊めったくたガイド」欄【石堂藍氏】
 今月は一も二もなく、『わたしの名は紅』(和久井路子訳/藤原書店3700円)を推す。トルコの現代作家オルハン・パムクの600ページにも及ぶ長編である。「いまや死体だ、わたしは。屍だ、この井戸の底で。最後の息を吐いてからかなりになる。」この出だしだけで小説好きを引きつけるには充分だが、最後までみっしりの内容で、裏切られることはなかった。舞台は16世紀末のイスタンブール。オスマン・トルコのスルタン、ムラト三世の庇護により、優れた細密画の挿画本がいくつも作られた時代である。だが、その美術界にも遠近法に基づくヨーロッパ絵画の衝撃はあった、という設定のもとに物語は進んでいく。冒頭で死んでいるのは優れた細密画師で、やはり名人級の三人の兄弟弟子のうちの誰かに、細密画の技法をめぐる対立によって殺されたのだ。物語の大筋としては殺人犯は誰かという形になっているので、ミステリーと呼んでも良いのかもしれないが、本質的にはイスラームと芸術をめぐる小説。作中ではしばしば芸術論が語られ、これがすこぶるおもしろい。(後略)
1月
別冊環9  脱=「年金依存」社会
1/31 東京新聞夕刊 「論壇時評」欄【宮崎哲弥氏】
 少子高齢化社会に適合的な制度設計という論点については、「別冊『環』9号」(藤原書店)の「脱=『年金依存』社会」が興味深く、アクチュアルな視点を供給してくれる。
 例えば、エコノミストの原田泰氏は、人口の推移や経済成長率に見合った年金のスリム化を提唱している(「人口減少と年金」)。
 原田氏によれば、日本の公的年金の給付水準(平均月額24万2000円)は、英米はおろか、高福祉で知られるスウェーデンと比較しても高い。他国の給付額は、日本の六割程度にすぎず、65歳からの支給が一般的である。
 この高水準をスウェーデン並みにすれば、年金保険料を引き上げなくとも、制度維持が可能だ。「人口減少を危機と考えるのは、払ってもいない年金を受け取ろうとするからだ」。そうした精神のあり方こそが「資本主義の互恵的文化の否定であり、親の子供に対する情愛を賞賛してきた日本文化の否定」だと、原田氏は訴える。(後略)
脱商品化の時代
1/29 週刊東洋経済 「BOOKS IN REVIEW」欄【熊野政晴氏】
 邦題“脱商品化”と原題“アメリカン・パワーの衰退”とが並ぶと、覇権国アメリカ経済の行く末に関する書物だと誤解しかねない。だが、本書は世界システムの理論構築の草分けとして著名な原著者が、迫りくる歴史的カオスの時代を“世界の左翼”の立場から分析し、将来の方向性を示唆しているシステムの世界史である。
 著者は資本主義的世界=経済全体にわたって、費用の増大から利潤圧縮の度合いが強まり、資本家の資本蓄積能力は脅かされつつあるとみている。費用増大の中核は以下の3点である。  第一は、労働者の組織化に対抗する手段としての都市から農村部への「逃避」が限界に達した・・・・・・現代アメリカ経済に即して言えば、低賃金を求めてのアウトソーシング、特に海外アウトソーシングが限界にきている。
 第二に、投入物の費用の領域でも、費用外部化が限界にきている・・・・・・エコシステムの修復に高額の負担が必要となり、公共財であるインフラ利用も課税の着実な増大を必要としている。
 第三に、福祉国家拡大による課税の増大・・・・・・相対的な政治的安定の代価ではあるが、先進国の高齢化・少子化がこれから課税増にさらなる拍車をかける。
 その結果、売り上げから費用を引いた利潤は、確実に圧縮される歴史をたどっている。この傾向は市場主義やグローバリゼーションへの移行によって解消されるものではなく、既存システムの矛盾は解消されえなくなっているとの認識である。
 世界経済は「カオス的分岐(bifurcation)」に入り、最終的には新しいシステムが生成される。その解決の糸口となるのが“脱商品化”だと主張される。「資本主義は万物の商品化のプログラム」であるから、「社会主義は万物の脱商品化のプログラム」であるべきだという。(後略)

石牟礼道子全集 不知火
1/28 週刊朝日 「週刊図書館」欄【五木寛之氏】
 浄土というものへの思いが失われてしまったことが私たち現代の日本人の不幸のはじまりだと、ずっと思ってきた。燃えるように熱く浄土を憧れる気持ちは、いまの自分にはない。新しい浄土がはたして現れるのか、それとももう永遠に浄土なき穢土に生き続けなくてはならないのか。
(中略)
 親鸞は和讃に託して、「悲泣せよ」とうたっている。『苦海浄土』第三部「天の魚」の第三章「鳩」のなかで、石牟礼道子さんは、死者を土中に葬るときにとなえられる「白骨の御文章」の、うろおぼえのところどころをくり返しながら、「今どきのテレビ の唄のなんのより、やっぱりあれが、いちばんよか、いちばんかなしか」とつぶやく部落の年寄りたちの姿を描いている。そして「生死の苦海果もなし」という御詠歌の一節に触れて、そのような苦海に身をおく者たちこそ、「浄土を夢みることができる」「浄土を思い浮べることができると思う」と語っている。
(中略)
 藤原書店から刊行されつつある『石牟礼道子全集 不知火 第三巻』のページをめくりながら、生皮をひっぺがされるような痛みと、なんともいえない甘美なかなしみを同時におぼえた。こういう全集が世に出るということが、私たちのこの国のわずかな希望ではないかと思う。
 浄土の不在、などという甘っちょろいことを考えていた自分が恥ずかしい。浄土は最初から地獄と対になって存在するのだ。浄土意識の喪失ではなく、苦海を苦海として見つめる視線の喪失を思うしかあるまい。
 『苦海浄土』第三部「天の魚」のほかに、いくつもの対話とエッセイを収めたこの巻を、ひとつの経典のように読んだ。経典とは、古いテキストを解釈することではなく、常に新しく書きおこされるべきなのである。石牟礼さんのこの全集と、古来の貴重な仏典のどちらかを選べ、と迫られたなら、私は迷うことなくこの本を選ぶだろう。
日露戦争の世界史
1/25 朝日新聞夕刊 「窓」欄【高成田亨氏】
 日露戦争を終結させたポーツマス条約から1世紀。あの戦争は何だったのか、あらためて考える好機である。
 「日本は戦前、ロシアの満洲支配を弱めるという米英に利用される一方で、朝鮮半島での足場を固めた。戦後は、ドイツの包囲網を作るという英仏などに利用されながら、満洲での利権を確保し、韓国の併合を果たした。正当性とは別だが、列強を相手にした日本外交は見事だった」
 こう語るのは、韓国の歴史学者で同国・漢陽大学名誉教授の崔文衡さんだ。昨年出版された著書「日露戦争の世界史」(藤原書店)は、日露戦争が2国間の勢力争いだけではなく、欧米列強の利害が複雑に絡んだ「世界大戦」だったことを示し、この戦争を見る構図を大きく広げた。
 1世紀を経た今はどうか。「米国に利用されながら、利用しているところは昔と同じ。しかし、当時は小国の外交として卓抜していたのであって、大国になった日本が『脱亜入米』の状態をいつまで続けていけるのか。日本が近隣諸国との間に抱える問題を考えると、東アジアは19世紀末のように不安定になる」と心配する。
 それを避ける処方箋は「東アジア共同体」を構築していくと同時に、東アジアの人々が歴史を共有することだと言う。難しい課題だが、崔さんの研究への心構えが示唆になるかもしれない。日露戦争は日韓併合に直結した悲劇、という韓国人としての思いを超えて、列強の覇権争いとしても見すえる冷静な精神である。
正伝後藤新平 1医者時代
1/23 毎日新聞 「本と出会う」欄【養老孟司氏】
 「後藤新平の全仕事」という企画のなかの、伝記の第一巻である。この『正伝』は、なにしろ私が生まれた昭和12年に刊行された本だから、なんとも古い。若い人は読むまい。そう思うが、まあ読んでみてください。そういいたい。明治の人というのは、これでも日本人かといいたくなるほど、いろいろ面白いのである。たった百年で人間はここまで変わるかと思う。
(中略)
 この伝記をお読みになれば、後藤新平がいかに真の官僚であったか、それがわかると思う。自分のためではなく国民のためを思った人だった。長く書く紙面はないから、一言引用する。「一部と全体との関係を忘れるな」。これが後藤の口癖だったという。
 著者は後藤の女婿、鶴見祐輔である。著者は「読める」伝記を志したと書く。そのとおりで、読みやすく、すぐれた伝記である。引用された漢文調の書簡等はすべて口語訳が付されているから、いまの読者でもまったく問題なく読めるであろう。面白くて、この長い本を私は一気に読んだ。
後藤新平の全仕事
1/15 朝日新聞 「私の視点」欄【青山やすし氏】
 後藤新平が注目されている。大胆な改革を行い、斬新な都市政策を果敢に実行した実績が、現代の政治家や官僚のそれと比較して際立っているからだ。
 第一に、後藤新平は現場で闘うリーダーだった。内務省衛生局長の時、座敷牢に入っている精神障害者を救うため奔走した。人権意識が希薄な時代だったから、行き過ぎだとされて失職し、半年投獄された。
 第二に、次の世代のために仕事をした。復興計画は縮小されたが、昭和通り、日比谷通りなど東京の主要な道路はこのときできた。隅田公園や横浜の山下公園など多くの公園をつくった。吾妻橋や厩橋など隅田川の名橋を今日に残した。市民が議論する場として日比谷公会堂を造った。顧みて私たちの世代はどれだけのものを次の世代に残しているだろう。
 第三に、断片的かつ縦割りでない総合的な政策を創造し実現することに力を傾注した。台湾の民政長官に赴任した時、「おれは医者だから、生物学の法則でやる」と言って、密林を切り開いて亜熱帯に適した砂糖きびを栽培・精製し、輸出して台湾に大きな富をもたらした。材料や製品を運ぶために広い道路をつくった。当時流行した伝染病予防のため、植民地台湾に宗主国日本より立派な上下水道をその道路に敷設した。
 第四に、人材の登用だ。台湾では、法律職など間接部門の官吏を千人以上も解任し、代わりに農・工業、土木、衛生などの専門家を採用した。満鉄総裁になった時は、「午前8時の人間でやろう」と言って若手を集めた。役員室や役員食堂を廃止して直言を歓迎した。鉄道、道路、港湾、産業のネットワーク構想はこの議論から具体化した。
 総じて彼は制度づくりに関心を持たなかった。具体的な政策の創造と実現に熱中した。
 精緻な制度を構築しているうちに時代が変わっていく。日本の地方自治については、制度論ばかり検討してきた。地方分権一括法はできたが実体はあまり変わらない。国と地方の税財政のあり方を見直す三位一体改革は「金」の議論が中心で、何を地方に任せるかの視点が欠けている。
 彼は東京市長になった時、「自治はよそにはない。東京市民の中にある」と言った。改革で問われるのは、市民の自治だ。うまくいかなかったら市民の責任だ。国の制度だけでなく市民の意識や社会のシステムも変えなければならない。
 伊藤博文は、彼の先駆性に辟易して、「君は生まれるのが早すぎた」と評した。後藤新平は時代の先覚者だった。だから、彼の足跡をたどると現代が見えてくる。
時代の先覚者・後藤新平
1/11 エコノミスト 「書評」欄【榊原英資氏】
 時代が大きく変わろうとしている時、我々が最も参考にしなくはならないのは歴史であり、また歴史上の人物たちであろう。『時代の先覚者・後藤新平 1857-1929』を編集した御厨貴や本書の著者たちは、後藤新平がそうした人物での一人であると強くアピールしている。
 「21世紀を迎えた今、日本で最も求められているのは、シンに創造的なリーダーシップのあり方である。逆にいうと、既成の制度に則り、調整と安定を業とする守成的なリーダーシップは、今にふさわしくない」
 後藤はその壮年期、台湾の民政長官を8年、満鉄総裁を2年弱努め、植民地経営にその手腕をふるう。一方で植民地主義者という批判はあるが、「後藤は日本を島国でなく大陸国家として発展させたいと考えていた」という。
 そして、満洲を軍事力によってではなく、「鉄道や港湾をはじめとして都市的敷設を整備して産業経済、そして教育・衛生・学術すなわち広い意味の文化を発展」させて統治しようとしたのである。
 これは植民地をベースとした国家建設である。後藤はまた、そうした計画の中心に満鉄調査部を据え、「科学的調査」を政策形成のベースとした。満鉄調査部は後藤が総裁を辞したあと、しばらく停滞するが、1930年代には、いい意味でも悪い意味でも、大きな役割を果たすことになる。
 こうした植民地での彼の経験は、後に鉄道総裁、あるいは東京市長としての彼の鉄道政策、都市政策に生かされることになる。
わたしの名は紅
1/9 日本経済新聞 「あとがきのあと」欄
 現代トルコを代表する作家だ。本書は16世紀末、オスマン・トルコの帝都イスタンブールを舞台にした歴史ミステリー。伝統的な細密画師が殺される。そこには当時神への冒とく行為と考えられていた西洋画技法の導入が絡んでいた。
(中略)
 〈いまや死体だ、わたしは。屍だ、この井戸の底で〉と殺された画家の独白で始まるこの小説は、様々な人物、時には「木」や「金貨」といった人間以外の視点からも語られる。「(芥川龍之介の)『羅生門』のように断片から全体を想像してもらう形をとった」
 西洋と東洋の出合いも本書のテーマ。米同時テロ直前に刊行された英訳本は「文明の衝突」の文脈で読まれ、ベストセラーとなった。もっとも本人は「ある芸術がほかの芸術の影響を受けて消えたことへの哀しみを書いたもので、細密画への挽歌といえる。文明はぶつかり合うといった考え方には全く興味がない」と話す。
 大江健三郎、安部公房など多くの日本文学を英訳で読んでいる。中でも西洋へのあこがれを示す一方、日本の古典的な世界を愛した谷崎潤一郎に共鳴するという。東西両方の文明にまたがってものを考える自らの姿勢と共通するからだろう。
沖縄・1930年代前後の研究
1/4 琉球新報 「あしゃぎ」欄
 「ソテツ」地獄から戦時経済統制をへて戦争に至る沖縄の経済状況を論述した著書『沖縄・1930年代前後の研究』(藤原書店)を出した琉球大学教授の川平成雄さん。資料収集に駆け回った20年の研究成果がまとまった。
 「この時代の沖縄経済の研究は空白部分で、統計資料も断片的だった。しかし、いつまでも空白にしておくわけにはいかない。今回、メスを入れることができた。資料集めは至難の業で足で稼いだ」と感慨深げ。
 「戦前沖縄の歴史過程は1930年代に凝縮される」と序文に記している。当時の世界経済の動きを踏まえつつ、キビ生産を中心に論理を展開。家族生活を維持するため、キビ栽培と砂糖生産に必死にしがみつく農家の姿を統計資料などを通して浮き彫りにした。
 「ソテツ地獄という側面はあったが、その中で沖縄の農家はキビ生産を維持することができていた」。しかし、時の政府による「沖縄振興計画」が日中戦争の中で破綻。戦時統制経済に飲み込まれ、沖縄は戦争へ突入していく。
 「この時代を知ることは、戦争への道を知ることになる」と語る。
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